「世界は自分で創っていない」~56%自分原因説~
今日は、スゴイ話を書きます。
心して読んでください。
ぼくはこれまでにいろいろな本を読んできて、ひとつの大きな疑問がありました。
それは
「世界は創られているのか、自分で創っているのか」
という疑問です。
これは言い換えると、
「ほんとうに世界はすべて自分の思い込みの”投影”なのか」
ということになります。
他の言い方をすると、
「運命は変えられるのか。変えられないのか」
という疑問でもあります。
最近の風潮でいくと、どちらかと言えば、
「世界は自分で創っている」
「すべては投影」
「自分の意識(や無意識)が引き寄せている」
と自分に原因をおく論調が多いように感じられます。
この系統の言説は、基本はスピ系のなかで成り立っていながら、なかには量子力学を引き合いに出して、この手の法則を「科学的に」証明しようという流派もあります。
ただ、ぼくとしては
「自分がすべて創っている」
という言説には、どうしても納得がいかなかった。
たしかに人生には、ぼくらの意識や「あり方」で変化していく部分が、体感的にあります。
「俺がこれをやったのだ」という体感があるので、「すべてシナリオで決まっている」
という説よりも、「何かしらを変化させられる」というほうが、生きる愉しさを実感しやすいと思うのです。
けれども、さすがに「すべて自分が創っている」というのは、どこか違和感があるのです。
「この宇宙は、意識が創った3Dホログラム」という言い分も、もちろん分かります。
でも、それが腑に落ちてる人って、ほとんどいないのでは?と思うわけです。
あとは、「すべて自分が創っている」という説に対して、大いに疑問が残る点として
たとえば、1歳から虐待されていた子は、当時から潜在意識的に「虐待」を引き寄せていたのか。
もしくは「虐待されないように」という不安を抱えていたから、そういう現実を引き寄せてしまったのか。
生まれたばかりの赤ん坊は、エゴのない無垢な状態と思われるが、その状態で、出自に差があるのはなぜか。
胎児時代に潜在意識に埋め込まれるというのなら、受精から着床など、どの段階から「潜在意識による引き寄せ」がはじまるのか?
などなど、あまりに多くの疑問が解決されない。
そこから先は証明できない「前世論」になってしまうのです。
そんなことから、「すべて自分が創っている」「すべては投影」という言説には、ぼくは賛成できないのです。
また「すべて自分が創っている」という流派の方には、
「では今、この瞬間に、創造主であるあなたの思い通りの世界にしてみてください」
とお願いをしてみたいです。
それが不可能であるならば、実際に創造主の意識にアクセスしているわけではなく、ただ机上の空論の話をしていることになります。
けっきょくのところ、「すべて自分で創っている」という説は、
「現時点で、世間的に”うまくいっている”人が、”自分は、がんばってここまで来たのだ”ということを主張するために作った説にすぎない」
と思われます。
そして、その文脈で「だから、あなたにもできるよ!」となり、
「そのやり方を教えてあげよう。お金くれればね」という流れを生み出しているわけです。
というわけで「世界は自分で創っている」という説は、そこはかとない希望を抱かせるものの、その概念は論理的に破綻していて、幻想じみた妄説であると言えましょう。
またそれ以上に実践的な側面で考えて、
いまシンドイ状況の人に「すべては自分で創っている」と言えるかどうかという観点もある。
いじめられている小学生に対して、
「それもあなたが創造したことなんだ」
「だから、自分を変えれば、世界を変えられるんだ」
「それも投影だよ」
とは言えないでしょう。
その意味でも「使えない」テーゼだと、ぼくは思うわけです。
では、おぜっきーは、
「世界は自分で創っているのか。創られているのか」
に対してどう考えているのか。
その答えは、次の記事に続きます。