イケメンは”やる”もの。
一眼レフのカメラを買って早1か月。
撮るのも撮られるのもだいぶ慣れてきました。
面白いですね。
はじめはカメラを向けられると緊張してしまい、不自然な表情になってしまっていたのですが、
何度も撮られているうちに「カメラがなんですか」みたいな感じになってきて平気になってくる。
ほんと、これは「慣れ」なんですね。
嫁さんも、最近はぼくにカメラを向けられるのに慣れてきて、ほんとに自然な表情でコチラを見てくれるので愉しいです。
さて、そんなことを思いながらFacebookに写真をアップしてみたら、こんなコメントが。
うお!これって、いかりんさんこと碇谷圭子さんの
「美人はやるもの」
と同じじゃないか!と気が付きました。
そしたら、なんだかとてもドキッとしたんですね。
「あ、ぼくは今までイケメンという言葉を受け取っていなかった」
と思った。
幸いなことに、人生で何度かは「イケメン」と言われたことがあったのです。
でも、その度にふざけて返して、ごまかしていた気がする。
「ありがとうございます」と言ったとしても、表面上だけ。
「こうやって素直に受け取るとよい」と「受け取るポーズ」を取っていた気がする。
うーむ、アタマ的な行動ですなぁ。
「イケメンをやる」というよりかは、どこかで
「イケメンなんかやっちゃってる俺」
を見てる俺がいて、
「こんなん遊びでやっちゃいましたけど?」みたいな「逃げ」の予防線を張っていた。
「イケメン風にしてみました。なんちゃって」みたいなごまかし方。
あわよくば「素敵!」とか言われたら嬉しい的な。
いや、違うんだわ、これ。
本気でイケメンをやらなきゃ意味ないんだ。
「は?なんでお前がカッコつけてんの?」
「ダッサ。イケメンでもないくせに」
「何モデル気取りしてんの?」
そんな評価が怖いから、「イケメンをやる」んじゃなくて「イケメン風の仮面をかぶる」にとどまっていたんだね。
批判されたら
「なあんちゃってー。仮面被ってただけでしたー。イケメンじゃないのは知ってますー」
と逃げられるように。
そうか、でも俺は俺のことを
「カッコイイ」
と思っていいんだ。
俺が何をどう感じるかは自由なんだから。
俺がイケメンかどうかは問題じゃない。
「俺が俺をイケメンと思ってあげられるかどうか」
なんだ。
で、「俺をイケメンと思う」のは自由で、それを批判することは誰にも出来ないんだ。
「お前はイケメンじゃねえよ!」
「あー、君はそう”思う”んだね。でも、俺はそうは思わない」
という主観の話になるんだ。
ほんでこれ、もちろん「美人」と言い換えても使えるし、「お金持ち」なんて言葉とも言い換えがきく。
あとは「才能がある」とか「天才」とかでもいいよね。
「俺には才能がある!」
「俺は天才!」
っていうと、「本当にそうなのか」なんて検証されちゃう。
けれども
「俺には才能があると、俺は思う」
「俺は天才だと、俺は思う」
という文脈になるだけで、「誰も奪えない心の翼」になるんだ。
いやコレ、すごい発見だわ。
やっぱり、おちゃらけてしまうと、見えなくなるものが多いね。
本気で、逃げずに、批判を恐れずに。
よく言われる言葉だから「できてる」と思いがちだけど、全然できてないね。
これからも、さらに自分に向き合っていこう。
そんな試みをしてみたい方はこちらにどうぞ。