「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「貧乏は病気だから治せる」、という説と「設定」について。

確定申告の数字を見て、ぼくのなかで何かが変わったというか、

 

「あっ」

 

と感じるものがあった。

 

ひとつめに感じたことはここに書きました。

 

お金は、目に見える世界のものだけれども、「目に見えない世界の何か」を表しているんじゃないかと、体感してきたのです。

 

「お金はエネルギーだ」なんて言われています。

 

ぼくももちろん本で読んで知ってはいたのですが、さらにハラ落ちしてきた感があります。

 

 

そこで今日は「設定」について考えてみたいわけです。

 

ここ5,6年くらい、がんばってもがんばらなくても、年商が上がりも下がりもしないことを考えると、

 

「なにかしら見えない設定」

 

があるのではないかと感じるわけです。

 

 

で、まぁこれを「器」と呼んでみましょう。

 

 

それで今日の本題は

 

「この器を意図的に大きくすることはできるのか?」

 

ということなわけです。

 

 

これさ、本やセミナーを売るんだったら

 

「あなたも変えることができます!」

 

っていう説にしないと売れないでしょう?

 

 

「この設定は、生まれる前から決まっています」

 

なんて身も蓋もない説だったら、誰も講座に来ないし、本にもできないよね。

 

 

だ、け、ど。

 

「設定は生まれる前から決まってる説」が間違っているとは証明できないんだよね。

 

けっこう「この世」って、身も蓋もないじゃない?

 

 

美人のほうがモテるのは当たり前だし、かつ収入も高いっていう研究結果もあるんだっけ?

 

勉強しないで頭いいやつもいるし、がんばってもアタマ悪い人もいる。

 

暴飲暴食しても健康な人もいるし、健康オタクなのに病弱な人もいる。

 

 

マジで、身も蓋もないwww

 

残酷すぎる、この世界wwwww

 

 

その関係でさ

 

「”収入の器”は生まれつき決まっている」

 

っていう説もぜんぜん否定できないんだよね。

 

 

「いや、おれは貧乏だったけど努力してお金をつかんだ!」

みたいにイキる人もいるけどさ、

 

「いやだから、それが運命だったんだよ」

って話になっちゃうじゃん。

 

そもそも「努力する才能」があったわけだし。

 

あとは「設定を変えましょうセミナー」で変えれた人って、どれくらいの割合でいるのかしらって話なのね。

 

たぶん5%以下でしょう?

 

そうなると、それ「自然治癒」なんちゃう?って疑ってしまう。

 

ね?

 

そう考えると、実は「設定の変更」は難しいんじゃないかという流れになってくるわけです。

 

 

ただね、これだけだとホントに身も蓋もないじゃない?

 

 

それでね、この「設定」に関してなんだけど、

 

「何かしらの”必要”があって設定されている」

 

と考えてみるとちょっと合点がいったりする。

 

 

たとえば、ぼくが知っているお金持ちの人って

もともとすごく自己肯定感が低いのよね。

 

んで、自己否定をバネにして

がんばって収入を増やしたという人が多い。

 

「ラクに稼いでますよー」

っていうアピールをしていても、

裏でめっちゃ頑張っている人が多い。

 

そういうことを考えると

たとえば「収入の”設定”がグッと上がるような人」っていうのは、

 

「その必要があった」

 

と考えることができるんだよね。

 

 

つまり「収入アップ」という出来事でもなければ、自己肯定感が通常レベルにすら達しないような人は

 

「その必要があって”設定”が上がる」

 

んじゃないかと思うわけです。

 

 

ぼくなんかも、2011年当時は自己肯定感がすごく低かった。

 

「成果」でしか自分を見ていなかった。

 

だから、そんな僕のために

 

「まずはニセモノの肯定感でもいいか身につけようか」

 

と「神さま」が「設定」をグッとあげてくれたのかもしれない。

 

 

そういう観点で見ていくと、

 

「貧乏は病気」

 

ではなくなる。

 

というか、そもそも「病気だから治せる」という感覚もおかしくて。

 

 

先天的な病気で治せないものなんていくらでもあるしね。

 

 

まぁそれも含めて、

 

「いま、そうなっているのは必要があるから」

 

というに捉えるのが、もっとも自然なんだと思う。

 

 

だから今お金がなくて困っているのなら、

 

「その設定を変えよう!」

 

と努力するのではなく、

 

「どういった意味で”必要”なのか?」

 

と自分に問うことから始めたらいいのかもしれない。

 

 

きっと、そのとき自分の内側から「答え」が来るんだよね。