かなわない夢を見たほうが、傷つかなくてすむから。
大きな夢は怖くない。
けれども小さい夢は怖いのだ。
たとえばぼくが、
「将来は、総理大臣になる!」
とかいう夢を掲げたとする。
すると、ある人は「夢がデカくてカッコいい!」と言うかもしれない。
ある人は「非現実的だ」と批判するかもしれない。
ある人は「アホらしい」とバカにするかもしれない。
いずれにせよ、ただの平民のぼくが総理大臣になれる可能性は0.0000000001%以下だろう。
そういう実現可能性の低い夢を見るとき、ぼくらは安心していられる。
なぜなら、かなわなくても恥ずかしくないから。
「がんばったんだけど、ダメでした」と言ってもバカにされないから。
だから、「大きな夢」を掲げておくと、カッコいい割りに、気がラクなのだ。
そして、自分も傷つかなくて済む。
「できなくても仕方なかった」と言い訳できるから。
逆に、小さい夢っていうのは怖かったりする。
いつもがんばってる家事をサボってみたり。
大嫌いな人に「嫌い」と伝えてみたり。
大好きな人に「好き」と伝えてみたり。
小さな夢には「リアリティ」がある。
だから、想像するだけでカラダが震えたり、身体にモロに影響が出る。
このリアリティは、ときにぼくらの身体をおそろしいほどに変化させる。
けれども、この恐ろしいほどのリアリティを乗り越えていくと、だんだんとハラが坐ってきて、「平気」でいられる瞬間が増えていくのだ。
だから、大切にすべきは「壮大な夢」よりも「小さな夢」なんだ。
「大きな夢」つまり「かなわない夢」にはリアリティがない。
逆に言えば、リアリティがないから実現しない。
そして、そんなリアリティのない夢を追いかけていることが、「小さな夢」にチャレンジしないことの言い訳になっている。
「日本を変えるんだ!」
「〇〇を救うんだ!」
「世の中のために!」
もちろん、リアリティをもって、その活動をしている人もいるでしょう。
けれども、壮大な夢を掲げる人の一定数は、「小さな夢」にすらチャレンジしない人だったりする。
意識がハラからズレてきて、アタマにのぼってくると、ぼくらは思考がのぼせてくる。
そのときのセリフは
「いつか・・・!」
「いつかは〇〇」というフレーズが、アタマに沸いてきたら「いま、ここ」の喜びを忘れてしまったと思っていいだろう。
そしていつでも「いつかは〇〇」と言っている人がいたら、その人はいつまでたっても〇〇にならないだろう。
かなわない夢を見るよりも、小さな一歩を踏み出すほうが怖いんだ。
「いつかは独立」したいんだったら、今から勉強はじめたらいい。
「いつか素敵なマイホームを」っていうなら、今週末にでも展示場にいったらいい。
「いつか素敵な男性と結婚」っていうなら、逆ナンでもしたらいい。
なんにせよ、一歩を踏み出すしかない。
いや、0.1歩でもいいんだ。
「もうちょっと勉強してから」
「もうちょっと自信がついたら」
「もうちょっとお金がたまったら」
って、次に進む気ないやろ?!
いつまでゴチャゴチャ言えば気が済むんだ。
自分の課題は、足元にしかない。
遠くの山を見て、
「遠いなぁ。高いなぁ。登れるかなぁ」って…
知るか!!
そんなもん歩き始めてみないと分からないんだ。
ね、だから大きな夢よりも、足元の(おっそろしい)小さな夢だよ。
見たくない、認めたくない、怖~いやつがあるでしょう?
そいつに向き合っていくと、だんだんと現実も変わってくると思うよ。
そのためにハラの据わったカラダ作りをしていくのもアリかもね。