エゴの”幸せ”を求める限り、そこには必ず”不幸”がつきまとう。
「幸せになりたい」と人は言う。
けれども、「幸せ」になったとたん、
「この幸せを手放したくない」
「この幸せがなくなったらどうしよう」
と不安になり、けっきょく「不幸」な状態に舞い戻ってしまう。
ブスな人が、化粧なんかをして「美人」になったつもりになると、ブスな人を見下すことがある。
貧乏人ががんばって金持ちになると、「貧乏」を忌み嫌うことがある。
デブが努力してダイエットしてやせると、デブな人をゆるせないことがある。
それは全部、「エゴの喜び」を「幸せ」と定義しているからだ。
「〇〇だから幸せ」という”条件付き”の幸せを、ありがたがるのがエゴの特徴なのだ。
しかし、「エゴの喜び」はいつだって、はかない。
それは、あれば嬉しく、なければ悲しい。
つまり「何か」に幸せを左右されていて、けっきょく本当に欲しい「なくならない幸せ」にたどりつかない。
ぼくも、これまで「センターマッスル活性化でハラを大事に」と言いながら、けっきょくは「エゴのメリット」になることを話してきた。
人間関係がよくなるとか、売上があがるとか、健康になるとかね。
けれども、それは根本的に矛盾していたのだ。
だから、今日からはエゴのメリットになるようなことは書かない。
「豊かになる」んじゃない。
「豊かであることに気づく」んだ。
「願いをかなえる」んじゃない。
「願いはかなってる」と気づくことだ。
けっきょく苦しいのが続くのは「自分のこと」ばかり考えているから。
言い換えると「エゴ視点」で考えているから。
そういうと、「では他人のために」といって自己犠牲に走る場合がある。
それで、「いや違います。ハラを喜ばせるのです」というと、なんかエゴ的な贅沢をすることと勘違いしてしまう。
しかし、それは「ハラ的な視点」じゃないのです。
じゃー、「ハラを喜ばす」ってなんなのかと考えると、それは
「怖いままでいる」
っていうことなんだ。
怖さに対処しない。
不安を解消するための行動をしない。
恐怖をなくすために努力しない。
ということ。
で、じーっとこらえて「怖いままでいる」と、「その怖さこそが、”なくならない幸せ”だったんだ」ということに気づく。
そしたら、そこには
「こうなりたい」とか
「これがなきゃイヤだ」とか
「これがないから苦しい」
っていうエゴの苦しみはなくなるわけです。
そう、エゴの喜びを求めなくなるから、エゴの苦しみはなくなる。
もう、「引き寄せ」とかエゴエゴしいのは、飽きてきたやろ?
「月収7ケタになる方法」とかワクワクせんやろ?
「今より3倍稼ぐ8つの成功法則」とか、正直つまらんやろ?
そういうのより、もうちょっとヤバイやつ、一緒にやってみない?
最強に愉しいと思うよ。
いま、スゴイの計画してるから。
今週中にはメルマガで発表する予定だよ。