「今を生きる」というのは「今じゃないところに視点を置く」ということです。
どうも抽象的で分かりにくいのが「今を生きる」というフレーズ。
下手をすると、「今を生きる」どころか、「若いうちにやるだけやっておこう」みたいな刹那主義みたいに解釈されちゃうこともある。
「年取ったら動けないから、今のうちに」っていうのは、「将来を悲観」している時点で「未来」が思考に入っちゃっているから、ぜんぜん「今を生きる」じゃないのよね。
むしろ「将来を生き」てる。
じゃー、今を生きるってなんぞやってことなんですが、それは
「今じゃないところに視点を置く」
ということです。
たとえば未来から。
ぼくなどはよく「死ぬ瞬間」を使いますが、最期のときから「いま」を見てみる。
そうすると、今の時間の使い方で、ほんとうに気持ちよく生きられるのかというチェックができたりする。
つまり視点というか、視座ですね。
「目の置き所」をどこにするかということです。
で、「今を観る」必要があるんで、「今」に視座を置いたら見えないわけです。
だから「今じゃない時間軸から、今を見つめる」というのが効果的なのです。
同様に「自分を生きる」っていうのもあるんですが、これも「自分を観る」ってことなんで、「自分以外のところに視座を置く」ということです。
そのときはじめて「自分」が見えるわけです。
ただ、このとき注意点があって、「他人の立場」になってモノを観るということではありません。
そんな機能は人間にはついていません。
「他人がどう思っているか」なんて、死んでも分からないのです。
じゃー、どういう視点から見ていくかというと、「自分をまるごと肯定する」視点から見ていくのです。
それについては、こちらも参考にしてみてください。
もう良いか悪いかとか考えない。
「できる」とか「できない」とか考えない。
〇〇な性格とか分析しない。
もう「OK」だけの一元論。
できそこないだからいい。
無能だからいい。
性格わるいからいい。
OKが当たり前の世界。
その視座から、自分というものを見つめていく。
そしたらね、ぼくらの身体ってゆるむんです。
「見たもの(意識したもの)」って緩むんですよ、面白いことに。
そうしたら、そこに「ラクなあり方」の世界が広がっているんです。
だから今じゃないところから今を観、自分じゃないところから自分を観るのが極意だなと思う今日この頃です。