「いま、ここにある材料」で勝負する。
実は、「いま、ここ」にすべてのパーフェクトな材料がそろっている。
あなたのやることは、「いま、ここにある材料」に文句を言わず、最高の料理をつくることなのだ。
砂糖がないなら、塩からい料理を作ればいい。
じゃがいもがないなら、肉だけ炒めればいい。
鍋がなければ、サラダを作ればいいじゃない。
いつまで、
「〇〇がない」
と不満をもらしているんだ。
ブサイクならブサイクで勝負する。
アホならアホのままで勝負する。
病弱なら病弱を活かして勝負する。
それしかないやんけ。
「〇〇が足りない」ってセリフで、誰が得すんの?
「××さんは、これを持っているのに」
って知らんがな。
それをアンタが持ってないのは、
「アンタはそれがなくても戦える」っていう証拠なんや。
「ハンディキャップがある」
ってことは「実力が秀でている」ってことやろ?
「誰々が〇〇してくれない」
って関係ないって。
それは元々、戦力にならん人なのよ。
アテにするなかれ。
「つくりたい料理」にこだわったらいかん。
玉ねぎも鍋もないのに、
「どうしてもカレーが作りたいんだ」
ってこだわったところで、「喜ばれるカレー」はできないよ。
チャーハンをつくる役割の人もいる。
「やりたいこと」にこだわるよりも、「できること」に絞ったほうが、喜ばれることもあるで。
とにもかくにも、
「いま、ここにパーフェクトな材料がそろってるんだ」
という意識を持つこと。
そしたら、ぜんぜん見えるものが変わってくる。
「お母さん」は冷蔵庫の残り物で、おいしい夕飯を作っちゃうやろ?
それが高級フランス料理よりも旨かったりするんだ。
もう、「このまんま」でいくしかないのよ。
食材も調味料も、調理器具も、充分に足りているよ。
アンタのまんまの、透明でまっすぐな思いは、届く。
技術やテクニックじゃない。
どれだけ純粋でピュアな思いで行動するかにかかってるんだ。
もしあなたに足りないものがすれば、その「ピュアさ」だけだよ。
テクニックやメソッドが足りないわけじゃない。
「お母さんの料理」は料亭やホテルで20年の修行を積んでなくても、充分に旨い。
それは、愛情があるからなんだ。
お母さんが、子どもたちに喜ばれる料理を作るために、調理学校に入るとか言い出したら変やろ?
そこじゃないんだって、ポイントは。
でも、「足りない意識」が強い人は、そういうミスを犯す。
「学びにいく」よりも、「そのまんま」で勝負したほうが強かったりするで。
ハラ生き道ってのは、「学ぶ」っていうよりは、「その人のそのまんまを出す」って道なんだ。
だから、ひとりひとりルートが違う。
その人に「付け足し」をするんじゃない。
削いで削いで削ぎ落して、切れ味抜群の「生身」の真剣にしていく。
それが、ハラ生き道なんや。