「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

ハラ生き道ができるまで その9 ~整体師、修行時代~

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どうにかこうにかオープンにこぎつけた新店。

 

初日は12名の新規さんがいらっしゃった。

 

ホッとするのも束の間。まだやることは山積みだ。

 

 

施術の勉強、コミュニケーションの勉強、そしてチラシ・HP…。

 

とにかく「経営」というもののド素人。

 

ぜーーんぶゼロから学ぶ必要があった。

 

 

そして合間に整体学校の上級コースを履修。

 

けれどもまたここで問題が…

 

いろいろと原因はあるだけろうけれども、とりあえず事実としては、葉月が体調不良になってしまう。

 

電車に乗れない。外に出るのが辛い。一人で家にいられない…。

 

名前をつければ不安症とか恐怖症とかパニックとか言うのだろう。

 

そう、これもまた自律神経系の症状だ。

 

 

それでぼくは、整体学校を休まねばならない日が増えた。

 

最終的に、学校には6か月のうち半分くらいしか行けなかった。

 

あとは同期にノートを借りたり、ちょうど体調不良の葉月を相手に練習したり、マーケティング関連の本を買ってきて勉強したり。

 

そうやって半分くらいは独習で学んでいった。

 

 

とはいえ、徐々に本などもそうは買えなくなっていった。

 

というのは、貯金がどんどん減っていったから。

 

 

当時、葉月と2人で2DKのアパートに住んでいて家賃が65000円だった。

 

それでいちばん厳しいときには給料が源泉徴収後に、60000円。

 

それだけでも5000円のマイナス。

 

もちろん、そこに食費やガス水道代などがかかってくる。

 

だから平均して毎月10万円くらい赤字だったと思う。

 

 

そうなるとね、飲み会とかも行けないですよ。

 

大好きだった本も、そうとう吟味して買うようになった。

 

外食はしない。お昼はいつも葉月の手作り弁当だった。

 

 

ぼくが整体学校を卒業するころには、葉月も徐々に回復してきて、ケーキ工場やパチンコ屋で働いて家計を支えてくれた。

 

それでもお金が足りなくて、国民年金は2人してサボっていた。(独立開業後に返済しましたヨ)

 

年収でいうと180万くらいだったかな。

 

 

面白いことに、それでもみじめな感じがしなかった。

 

それは、初めて自分で人生を選んだ、じぶんで掴み取ったという感覚があったからだと思う。

 

「おれは一歩を踏み出したんだ!」

 

という自信があり、「それなりに楽しかった」会社員時代とは、比べものにならないほど充実していた。

 

そのせいか、会社員時代に抱えていた「給料をたくさんもらってる友人への嫉妬」などもなくなっていた。

 

 

そのとき「年収に嫉妬してると思っていたけど、ほんとうは生きる充実感を感じたかっただけなんだ」と分かった。

 

お金の問題はダミーなのだ。

 

 

そんなこんなで1年半が過ぎた。

 

最終的に、そのお店は月間でのべ250人ほどを施術する院に成長していた。

 

多い時にはのべ300名以上が来院されることもあった。

 

ベッド1台で、この数字というのは繁盛店と言っていいと思う。

 

ときに朝からごはんも食べずに施術ばかりしていた。

 

それでおよそ1年半で、のべ3067名の方を施術させてもらい自信をつけたぼくは、地元愛知に帰り独立することにした。

 

そんなとき、葉月がビックリすることを口にした。

 

その言葉とは・・・

 

 

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