ハラ生き道ができるまで その8 ~整体師デビュー前夜~
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整体の師匠から「新店の院長をやらないか」とお声がけいただき、ふたつ返事で話を受けたものの、大変なのはそこからでした。
まずは書店の退職。
ここまでくるとさすがに副業でやるつもりはなく、本気で整体の道を歩もうと思っていました。
なので書店の退職。
さっそく上司に連絡して退職の旨を伝えました。
すると、思った以上にすんなりと話は進み、とてもあっけなかったのを覚えています。
引継ぎも1日で終わり、「ああ、会社での存在なんてこんなもんなんだな」と悲しく感じました。
さて、そこから残りの有休を消化しながらの引っ越しの準備です。
葉月がテキパキと荷造りをしてくれて、とても助かりました。
そして2009年7月初旬。
千葉県いすみ市から千葉県習志野市へと引っ越しました。
師匠の新店は、3階建ての介護施設の一画を間借りするという、すこし独特な形式でした。
デイサービスと訪問介護の事務所があり、そのスキ間に3m×4mの空間をパーティションでつくり、そこが施術スペースになります。
ところで、新店のオープンは8月1日。くしくも葉月の誕生日です。
今は7月アタマ。
つまり3週間で、整体のレベルを「現場レベル」にグッと底上げし、かつ新規顧客の集客を行う必要がありました。
陣頭指揮をとってくれたのは、師匠の一番弟子にあたる、ぼくの先輩です。
死ぬほど優秀かつ体力があって「鉄人」と呼ばれていました。
指導を受けるのは、院長のぼくと、他のスタッフ2人の、合わせて3人。
まずは施術やコミュニケーションの徹底した練習。
先輩は死ぬほど忙しい仕事の合間をぬって、ぼくらの指導をしてくれました。
また、チラシやHPに関しても、ゼロから教えてくださいました。
しかし、施術も集客も、これができないのなんの!!
全部はじめてだから当たり前といえば当たり前ですが、なんにもできないのです。
整体学校の初級講座のレベルでは到底対応できないと感じました。
なので、ダメダメなじぶんをふがいなく感じながら特訓を続けました。
あまりに特訓がきつくて、一度、勝手にサボったことがあります。
一緒に特訓を受ける仲間に
「いま、これ以上インプットしても、どうせ覚えられないからいかない。先輩には体調不良といっておいて」
と伝えて、勝手に休んでいました(笑)
最悪なやつですwww
またチラシなどのマーケティングに関してはもっとダメでした。
チラシは作っても作っても「使えない」と言われる。
「なんだよ、こっちだって一生懸命やってるのに!」なんて思いましたが、シビレを切らした先輩が一晩で作ったチラシを見て納得。
レベルが100倍違うのです。
ぼくが何日もかけて作ったチラシよりも、先輩が数時間で作ったもののほうが何倍もレベルが高かった。
HPもまったく同じでした。結局ぜんぶ先輩がやってくれた。
そんな感じで完全におんぶに抱っこでした。
あとは作っていただいたチラシを3000部ほど印刷してポスティングして回りました。
そして迎えた8月1日当日。
なんだかんだで、12名の新規さんが来てくださり、なかなかの賑わいを見せたのでした。
とはいえ、スタートしただけで「ホッと一安心」なんてしているヒマはありません。
ここからが、さらに大変だったのです・・・
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