ハラ生き道ができるまで その10 ~独立開業までの道のり~
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およそ1年半の修業時代にのべ3067名の方の施術をさせてもらい、施術にも経営にも自信をつけたぼくは、地元愛知に戻り開業することにした。
そんな2011年の1月、葉月がビックリすることを口にした。
「子どもができたみたい…」
晴天の霹靂だった。
たしかに「油断」していたところはあった。
どうせ結婚するのだし、そこまで気を付けなくてもいいかと快楽を優先したりしていた。
しかし驚いた。
こうもまぁ人生というのは想像もできない動きをしていくのかと。
そしてまったく実感がなかった。
「まさか。ぼくがパパになるなんて」と。
妊娠検査薬の結果を観ても、子どもエコー写真を見ても、なんの実感も湧かなかった。
「4月には戻って開業の予定だが、 開業と同時にはじめての育児などできるだろうか」
そんな不安もあったが、悩んでも仕方がない。
とりあえず4月に戻って開業、9月に出産という予定になった。
すると、その2か月後。
2011.3.11。
東日本大震災。
ぼくは施術をしていた。
葉月は一人で家にいた。
ものすごい揺れで介護施設の利用者もスタッフもバタバタしていた。
ぼくは院を閉めるとすぐに家に戻ったが、葉月はブルブルと震えていた。
幸いにも本棚なども倒れることもなく、身近には怪我人は出なかった。
その後も4月7日に愛知に戻るまで、計画停電を何度か経験した。
信号の消えた真っ暗な街は、今でも忘れられない。
近所の大型スーパーからも、ほとんどの食材がなくなっていた。
そして2011年4月7日19時。
千葉県習志野市のアパートの鍵を不動産屋に返却し、一路、愛知へ。
現在はトヨタのノアに乗っているが、当時は2ドアのコンパクトカーだった。
当時、葉月は免許を持っていなかったので、ぼくが運転。
まだそれほど葉月のお腹も大きくなかった。
そして2人で、いや3人で東名高速をひた走り、名古屋に向かった。
実家に着いたのは、夜中の2時くらいだったと思う。
母が起きて待ってくれていて、迎えてくれた。
母とはありがたいものだ。
そして翌朝はやく、地元の不動産屋に行き、新居の鍵をもらう。
新居とはいえ、築30年の年代物。
1階が施術所になっていて、2階が居住空間。間取りは2DKで、かなり年季の入ったつくりだ。
結婚しての新生活が、かなり渋くなってしまったが葉月は文句ひとつ言わなかった。
しかし、この物件は縁があって、ぼくは見学1件目で「ここになるんだろう」と直観していた。
いつでも金額が大きくなればなるほど、ぼくの直感が鋭くなる。
今思えば、このころからぼくのハラ生きの片鱗を垣間見ることができるのかもしれない。
そして4月8日からスタートして2週間強。
なぜか友人の誕生日に合わせて4月25日に「整体院 空」をオープンした。
ちなみに、その4日前4月21日には、無事入籍を済ませた。
しかし、結婚生活は順調にはいかなかった。
「開業だ、新規集客だ、チラシだ、勉強だ」と意気込むぼくと、見知らぬ愛知に来て、知り合いもいない中で初めての育児をする妻。
そのズレは、どんどん大きくなるばかりだった…
続く。