「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「いま、うまくいってないよー」というときの考え方~臨界点に向けて~

人には誰しも、「うまくいかないとき」もしくはハラ的に言えば「うまくいっていないように感じるとき」があります。

 

山あり谷あり。

 

これが普通。

 

 

で、今日は「谷」に向かっているときの考え方、捉え方を考察してみたいと思います。

 

 

 

「谷」に向かおうとするとき、エゴはとてもシンドく、ストレスを感じます。

 

言葉にすると

 

「もうイヤだ」とか

 

「もうダメだ」とか

 

「やっぱり無理かも」

 

という感じでしょうか。

 

 

場合によっては

 

「やっぱり私はダメなんだ」

 

「〇〇をしてしまったから失敗したのかな」

 

「××の法則に逆らっているんだろうか」

 

なんて「自分を責める材料」を探し始めるでしょう。

 

 

 

さて、そんな「谷に向かう時期」ですが、ハラ生き的にはどう捉え、どう過ごしていけばよいのでしょうか。

 

 

ぼくがオススメしたいのは

 

「臨界点に向かっている」

 

という考え方です。

 

 

臨界点とは、つまり「からだもこころも限界」という状態です。

 

 

で、この「限界」に達したときに、ブレイクスルーが起こります。

 

 

これは鉄棒にぶらさがっていて、落ちそうになっている。

 

「もうダメだ」

 

「手を離したら落ちる!」

 

「落ちたら死ぬ!」

 

と苦労、心配をしている状態です。

 

 

そこで臨界点・限界がきます。

 

 

手放したくないけど、ズルっと手が滑ってしまう。

 

ズルっと下に落ちる。

 

 

そしたら、意外に地面が近かった。

 

「ああ、なんだ、こんなに低かったのか」

 

と安心する。

 

 

そこで、ブレイクスルーが起こるわけです。

 

 

ハラ生き道でいうと、またひとつ、「からだが内側からゆるんでくる」ということです。

 

 

それはつまり「やっぱり全部うまくいっていた」というテーゼをハラ落ちさせることになるのです。

 

 

 

では、この「どうにもならぬ」という臨界点までは、どんな「あり方」で過ごせばいいのでしょうか。

 

 

それは「こらえる」ということです。

 

 

とても残酷だけれども、「谷に落ちていく時期」「臨界点に達するまで」は、「こらえる」ということしか、やりようがないのです。

 

 

「谷に落ちていく恐怖」を解消するために行動しても、そのほとんどは失敗します。

 

 

ですから、その恐怖をぞんぶんに感じながら、その内にある小さな「声」を拾ということです。

 

 

そのためには、からだをゆるめ、意識を広げる必要があります。

 

 

すると、「内なる声」が聴こえやすくなります。

 

 

恐怖に支配されているとき、ぼくらのからだは「ノイズ」だらけになってしまいます。

 

 

その幻想のノイズに憑りつかれると、ロクなことがありません。(ただ、ある意味、臨界点までの速度を速める効果はあるかもしれません)

 

 

 

「問題が大きくなっている」と感じるとき、実際は「問題が大きくなっている」のではなく、「ぼくが小さくなっている」ことがあります。

 

 

それで相対的に「問題が大きく見える」わけですね。

 

 

そのためには、こちらがデカくなればいい。

 

 

それは「大局で見る」ということです。

 

 

「臨界点に向かっている」という捉え方も、「大局で見る」の一つですね。

 

 

そして100年、1000年スパン、宇宙的視点で見ていく。

 

 

そうしたら「だから何?」と言えることしか、起こっていないのです。

 

 

 

臨界点は、エゴが降参するポイントでもあります。

 

「どうにもならない。もう仕方ない」

 

とエゴが執着を手放したとき、きっと何かが起こります。

 

 

それを愉しみに待つ。

 

 

それが「臨界点までの、ハラ生き的な過ごし方」です。

 

 

参考になれば幸いです(^^)/