幸せってさ、「エコひいき」のことなんだよな。
「エコひいき」、してる?
「ちゃんとエコひいきする」ってことが幸せだと思うな。
だって肉体は有限だから。
みんなを同じようには愛せないし。
おれにとっては、奥さんと子どもがいちばんだし。
「好きな服を着る」こともエコひいきの一種だよね。
「いきつけの店に通う」こともエコひいきだよね。
なんなら会社に勤めることも、エコひいきだと言える。
ぼくらの「からだ」は一つしかないから、エコひいきしないと生きていけない。
嫌いな人に割いてる時間なんてない。
「エコひいきしてはいけない」って「エコひいき」されない人が決めたんだろうね。
「あの人ばっかりズルい!」って。
でも、エコひいきしてもらえるには、ちゃんと理由があるんだよ。
カンタンに言えば、「じぶんの本質」を生きている人。
じぶんの才能を認め、自然体な人。
そういう人は、好かれてエコひいきしてもらえる。
じぶんらしく生きている結果として、エコひいきされているんだ。
それを
「あの人ばっかりエコひいきされてズルい!」
って、愚痴ったり批判してみても、またさらに「エコひいき」されない人になるだけなんだよ。
そんなヒマがあるんなら、もっと「じぶん」を見つめて、向かい合って、ゆるして、認めて受け入れていけば、魅力が出てくるんだ。
そう、エコひいきしてもらえるのは、魅力があるから。
魅力は、じぶんの「そうである」を「そうである」と認めたときに開花する。
それは、「そうである」をあきらめて脱力するってことなんだ。
あきらめて脱力して「もういいや、これでいくしかない」とハラが決まったときに、魅力がバッと開花する。
そして「エコひいきされて嬉しい」という体験をした人は、「エコひいきしてもいいんだ」という価値観に変わる。
そのときはじめて「じぶんが本当に好きなモノ」を選ぶことができるようになるんだよね。
だから、「エコひいきすること」も「エコひいきされること」もとっても大切なこと。
エコひいきを否定していては、すべてを受け入れるハラ生きにはシフトできない。
というわけで、ぜひおぜっきーとハラ生き道をごひいきに(笑)