感謝できないときって、無茶が足りてないんだよね。
どうしても感謝できないときって、何かに遠慮してるんだよね。
言い方を変えれば「ガマン」している。
思い切ってない。
そんな状態で「感謝」なんて出来ないんだよね。
どんなときに「感謝」できるか。
それは「無茶したとき」だと思うんだよ。
無茶、つまり「ありえないこと」「ゆるされないと思うこと」。
それを思い切ってやってみる。
すると、思い込みの通り、「批判する人」が現れるでしょう。
でも、少なからず「ゆるしてくれる人」がいるわけです。
そのとき「自然に感謝できちゃう」んだよね。
「ええっ、あんなことしちゃったのに、ゆるしてくれるの?」
って。
もう自分ではありえないことをやったのに、ゆるしてもらえた。
その瞬間、感謝するしかなくなっちゃうんだよね。
だから無理に感謝をするんじゃなくて、まずは無茶をしてみる。
「怒られそうなこと」
「ドン引きされそうなこと」
「呆れられて、嫌われそうなこと」
それを、あえてやってみる。
そこで「知り合い」が、ふるいにかけられる。
「無茶」をやったのに、笑ってゆるしてくれる「知り合い」。
それが「友達」であり「仲間」なんだと思う。
ほんで「ふるい」にかけて残った人にだけ、「めっっっっちゃ感謝」すればいいんじゃないかな。
そしたら「スゴイ感謝」のなかで生きていけるよねー