ハラ生き道ができるまで その2 ~おぜっきーと合気道~
前回のお話し その1はコチラ
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そのころのぼくは、自分に対して「緊張度が高い」とは思っていませんでした。
しかし今おもい返してみれば、ガッチガチのコッチコチに固まっていたんです。
ただ、マジメの堅物のように思われていなかったのは、ダジャレが好きだったり、「笑い」が好きだったことがあるのでしょう。
実際、学年で作る「文集」などでは「クラスの面白い人」によくランクインしていました。
それは、ぼくが知らぬうちにバランスを取っていたのだと思います。
放っておくとクソマジメなので、ふだんは笑いで身体を溶かしていたんですね。
さて、そんなおぜっきー、大学3年から合気道部に入部します。
合気道じたいは小学校3年生からやっていましたが、大学2年で黒帯(初段)となりモチベーションが上がっていたのです。
なので大学3年時には、町道場を2つ、部活を一つと3つの場所で合気道を稽古していました。
ハマり症なので、やるなら徹底的にやりたいのです。
朝5:30に起きて7時から大学の部活で朝練。
8時に終わり、皆が授業にいくのですが、4年時には授業もほとんどなかったので、お昼まで一人で稽古していることもありました。
その後、食堂で昼食。
図書館のソファーで昼寝して、夕方5時まえに町道場へ。
そこから夜8時まで稽古、なんて日もよくありました。
いつも道着と袴をボストンバックにいれてともに行動していました。
夏休みなどの長期休みには、近くの公園で木刀や杖(じょう)を振り回して稽古していました。
それから、合気道の本はむちゃくちゃ読みましたね。
当時(2003年ごろ)は、今ほど合気系の書籍がなくて、古い合気道の本などを読み漁っていました。
また科学的に技をかけるために解剖学もある程度、勉強しました。
そのときに整体の本なども読み始めたのですね。
また2004年になると、「合気雑感」という、合気研究のHPを作りました。
そこに自分の研究成果を書いてね。
〇〇の技は手首の××を狙うとか、△△の技は足さばきが大切とか。
いま思えば稚拙で恥ずかしいですけれども、そういうことをやっていました。
その流れで「まぐまぐ」で合気メルマガをはじめました。
登録者は200人くらいだったかなぁ。
あとはmixiなどで募集して自主練もしていましたよ。
ぼくより高段者のおじさんや、10代の男の子、他大学の同学年の合気道家の人と、名古屋の柔道場を借りてやっていましたね。
それから、いろんな道場に出稽古にいきましたね。
合気道だけでなく中国拳法のセミナーにいったり、少林寺拳法の人と交流したり、違う大学の合気道部にも参加させてもらったことがあります。
名古屋だけにとどまらず、東京や大阪まで稽古にいっていました。
もうどこまで行っても、合気道漬けの2年間でした。
しかしその間、おぜっきーの身体に異変が起こったのです。
コチラに続く↓