「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

ハラ生き道ができるまで その3 ~自律神経失調症~

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就職活動は、大学3年の秋からはじめました。

 

といっても資格を取ったりということには興味がなかったので、就活イベントに参加してみたり適当に動いていました。

 

当時のぼくは「お給料」ということに、あまり興味がなかったのです。

 

いや、「お金」というものがどれほど人の心を狂わすか知らなかった。

 

同級生が自分よりもらっていると嫉妬するとか、大きい企業と小さい企業ではどれくらい給料が違うのかとか、退職金がどうとか、ステータスとか、生活レベルとか、なーーーんにも知らなかったのです。

 

そのことは、のちのち後悔することになるのですが…

 

 

とにもかくにも、ぼくは就職活動というものには、あまり乗り気ではなかった。

 

大学では文学部で言語学を専攻していて研究者になるのもいいいなと思ったことがある。

 

しかし、やはり「社会で生きていく力をつけたい!」という思いから、アカデミズムの世界よりも、一般的な就職を選んだ。

 

 

けれども、就職活動は難航した。

 

大学名は「名古屋大学」で、申し分ない。

 

エントリーシートで落ちることはない。

 

一般常識などの一次テストも問題はない。

 

けれども、面接で落とされてしまう。

 

数はそれほど多くなかったけれども、徐々にぼくの心は疲弊してきていた。

 

何枚も、一字一句間違えないように書く履歴書。

 

東京、大阪への遠征。

 

じぶんでは気が付かないうちに、疲れが蓄積していた。

 

4年生の春になっても、一社も内定をもらっていなかった。

 

じぶんより偏差値の低い大学でも、体育会系の元気な人たちは、大手企業から何社も内定をもらっていた。

 

ぼくは、すごくみじめな気分になった。

 

「ああ、お勉強ができても社会では使えないんだ」と。

 

 

試験がOKでも面接で落とされるということを

 

「性格や人格が悪いんだ。だから必要ないんだ」

 

というように解釈してしまっていた。

 

 

そのうちに、動くことが億劫な日が増えてきた。

 

大学の授業に行こうと思う。

 

でも力が入らなくて、ゴロンとしてしまう。

 

行かなきゃと思う、でも力が入らない。

 

そんなことをしているうちに、はじめて韓国語の授業の単位を落としてしまった。

 

 

それから、食欲がない日が続いた。

 

食べられない。

 

逆に、何も食べていないのに吐き気がする。

 

いま思えば、あきらかに自律神経を乱している症状だ。

 

けれども当時は、自律神経のことも知らなかったし、じぶんの体調をどう向き合えばいいのか分からなかったので、ただただ恐怖だった。

 

 

身体の法則性が分からないから、いつくるか分からない吐き気におびえていた。

 

東京に就活にいったときにも”コンクリートジャングル”のなかで、過呼吸気味になったのを覚えている。

 

 

ただ、その救いになったのが「合気道」だったのです。

 

 

コチラに続く

 

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