「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

誰もが、「いてもいなくてもいい存在。」

悩んだり、ヘコんだりするとき

 

「じぶんなんて、いなくていいんだ」 

 

「ここにいる意味ないじゃん」 

 

「私は、いてもいなくても変わらない存在」 

 

なんてふうに感じがちだ。 

  

 

まるでじぶんが、透明になったようで、空気になったようで、フワフワとして、虚しい。 

  

 

きっと誰もが、そんな状態を経験したことがあるんじゃないかと思う。 

  

 

そんなとき、 

 

「だいじょうぶ、あなたはかけがえのない存在」とか 

 

「いてくれて嬉しい」とか 

 

「あなたも愛であり光です」 

 

みたいな「空っぽの励まし」は、カラダのどこにも響かず通り過ぎていく。 

 

それでいて 

 

「ありがとう」とか 

 

「そうかもしれないね」 

 

なんて、励ましてくれる人を気遣っちゃったりして、また疲れて。 

 

そんな仮面仮面してるじぶんを、また嫌いになったりして。 

 

 

おれ思うんだけど、そんなときってさ、 

 

「じぶんが【いてもいなくてもいい存在】だ」 

 

ってことを認められないときなんだよね。 

 

 

そう、ぼくらは 

 

「かけがえのない存在」であり、かつ 

 

「いてもいなくてもいい存在」 

 

「どうでもいいやつ」 

 

なんだ。

 

 

だってさ、地球に70億匹もいるんだよ。 

 

ウジャウジャだよ? 

 

その1匹1匹にさ、 

 

「そんな大した価値」 

 

なんて思わない?

 

 

たとえば俺らから見て 

 

「女王アリ」 

 

とか言って、それが何百匹のアリのトップでさ、「いい生活」してたとしても、 

 

「だから何?」 

 

って話じゃない? 

 

「いや、お前アリだし」みたいなwwwww

 

 

でさ、人間もそーゆー存在なんだよ。

 

だから、はじめっから 

 

「いてもいなくてもいい」わけ。 

 

 

なのに悩みはじめるとさ、 

 

「いてもいなくてもいい存在なのかも…」 

 

って不安になるんだよね。 

 

 

だからそんな心配に対しては 

 

「そうだよ、いてもいなくてもいい存在だよ、誰しもが」  

 

って答えたいよね。 

 

 

んで、 

 

 

「だからこそ、自由に、気ままに、愉しいことやっちゃおうぜ」 

 

って話なんだよ。

 

「だって、何をしたって大した影響ないんだから」

 

 

こんな70億分の1のちっぽけな存在の3分の1の純情な悩みも、億千万の胸騒ぎも 

 

「どーでもいい」 

 

んだよね。 

 

「地球が危機」だなんだって言っても、宇宙から見れば超新星とかチョイチョイ爆発してるわけだし、 

 

ひとつくらい無茶苦茶になっても、大したことないんだよね。 

 

だから、そもそも地球じたいが 

 

「あってもなくてもいい存在」 

 

ってレベル。 

 

そんな中で、ぼくら人間は遊んでるってわけ。 

 

 

だから、あんまり深刻になっても仕方ないんだよね。 

  

このどーでもいい世界で。

 

そもそも「ここにいる意味」なんてない。 

 

 

「生きる意味を知りたい」なんてカッコつけなくても、 

 

「あー、もっと愉しいことないかな」 

 

ってシンプルに言えばいいよね🎵 

  

 

ぼくらは「愉しいとき」って意味を探さないから。 

 

意味を欲しがるのは、いつでも「飽きてきてつまらないとき」なんだ。

 

もともと意味なんかないのにね。 

 

 

そうやって悩みが明確になると、いろいろ楽になると思うよん。