「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「傷ついた心は、けして癒されない」なんてのは幻想だという世界もある。

「カラダの傷は、ほっとけば治るけど、心の傷は違う」

 

そういう主張ってあるよね。

 

 

たしかに、カラダの傷は目に見える。

 

そして、こころの傷は目に見えなくて分かりにくい。

 

 

だから、そんな標語みたいなのができたのかもしれない。

 

 

けれども、ぼくはそういう世界には生きていない。

 

 

なぜなら、こころとからだはひとつのものだから。

 

 

だから、からだにアプローチすれば、ちゃんとこころの傷も癒えてくる。

 

 

もちろん、程度はあるけどね。

 

おれでは手に負えない「こころの傷」もあるでしょう。

 

それは認める。

 

 

けれどもそれは「こころの傷は治らない」という証明にはならない。

 

 

「傷ついた心はかならず癒される」

 

なんて軽々しくいうつもりはない。

 

 

けれども、

 

「こころの傷は治らない」

 

なんてのも証明できない。

 

 

実際に、癒されていくケースはたくさんある。

 

 

逆に治らない「からだの傷」だって、たくさんあるからね。

 

 

中学生のころに転んでできた、ぼくの胸にある傷。

 

ケロイドになってしまって20年以上も治っていない。

 

あと10年くらいしたら「自然治癒」するんだろうか。

 

 

だから、「カラダの傷は〇〇だけど、こころの傷は××」みたいなのって、ぼくからしたらちょっと違う。

 

 

どっちの傷だって、治るものは治るし、難しいものは難しい。

 

 

こころだカラダだ、なんて分けるほうが変な話だ。

 

 

ぼくの経験上、長年の「傷」もちゃんとケアすれば、数十分で癒されることもある。

 

 

 

いずれにせよ、

 

「癒されない!」と叫べば、「癒されない世界」に住むことになるし、

 

「治ることもある」と主張すれば、「治ることもある世界」に住むことになる。

 

 

どっちに住むのも自由だよねって話だ。

 

 

ぼくは「傷ついた心はけして癒されないなんて幻想だ」という世界に住んでいる。