反対側がない世界へ~ゼロから生み出すということ~
ぼくのなかの大切な概念として
「反動を使わない」
っていうのがある。
「反動」っていうのは
「〇〇だから~」
って感じかな。
「こんなことがあった。だから今、これをしている」
っていう。
うん、ストーリーとしては面白いんだけどね、ほんとうの「創造」っていうのは、そういう「物語性」を超えたところにあると思うんだ。
あまりに淡泊すぎて、一般受けはしないかもだけどね。
こないだ、
「なんでハラ生き道をやっているの?なぜ、こういう活動を?」
って聞かれたの。
聞いた人は、なんだか壮大な答えを期待されていたのかもしれないんだけれど、ぼくがパッと出した答えは
「お金が欲しいからかなー」
だったの。
クソ野郎かwww
なんかもっと壮大で、すばらしい夢でも出てくればいいんだけどね、「なんで?」って聞かれると答え出ないんだよなー。
ハラ生き道を名乗り始めたのは、実際には去年なんだけど、感覚としては、もっとずっと昔から、そこにあったみたいな感じがしていて。
これを広めたいっちゃ広めたいんだけど、広まらなくてもいいかみたいなところもあって。
強い使命感ではないんだよね。
あくまで趣味。
だから、「〇〇という出来事があって、だからぼくはこれをしたいんです!」という感じじゃない。
「気楽に生きたい人は、よかったらくれば?」ってなスタンスかな。
だからこそ、生み出せるものってあると思うんだ。
ゼロからエネルギーを生み出す。
無限の世界から、有限の世界へエネルギーを借りる。
ハラ生きメソッドのワークを続けていると、そういう感覚になってきます。
パンチひとつするにしても、後ろに引いてパワーをためて拳を出すと、「反動」を使ってしまう。
けれども、あえて「パワーをため」なくとも、ぼくがここに生きている、立っている、座っているだけで、「パワーはある」んだよね。
それは「重力」なわけですよ。
それを活かす方法がハラ生きメソッド。
重力を、どう抽出するか。
そしたらエゴやアウターマッスルが生み出すそれより、もっと大きなエネルギーになる。
そういうのを活用していこうというのが、ハラ生き道なわけです。
反動を使っちゃうと、どうしても「相対性の世界」「二元性の世界」からは抜け出せないんだよね。
そこには「素晴らしいもの」と「素晴らしくないもの」がある。
そうじゃなくて、「ぜんぶ素晴らしい」っていう世界にいきたいんだよね。
「ぜんぶ素晴らしい世界」は、ゼロから生み出す世界。
「反対側」のない世界なんだ。
そういうのって、面白そうだと思わない?