「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

事実よりも「感」を大切にする。~「なんか調子よくないとき」に読むブログ~

調子わるいときってあるよね。

 

たとえば、

 

「神さま(的な大いなるもの)とつながってない感じがするな」とか

 

「タイミングが微妙にズレているな」とか

 

「運がよくない」とか

 

「うまくいってないな」とか

 

そういうときって誰でもあるじゃん?

 

 

それで、そういう時の「なんとか対処しよう」って思うと、ついついズレたことをしがちなんだよね。

 

そもそもズレてる時期だからね。

 

 

そのときに選択することってズレてる答えになることが多いよね。

 

 

ほんじゃ、そういうときどうすればいいかって、それが

 

「すべては【感】である」

 

っていうことを思い出すことなの。

 

 

どういうことかというと。

 

 

たとえば「神さま的な大いなるものとつながってないとき」ね。

 

 

これは完全なる誤解で。

 

ぼくらが生きている以上、かならず「大いなるもの」とはつながっているの。

 

 

だから「つながってない」んじゃなくて「つながっていない気がする」だけなんだよね。

 

 

「大いなるもの」とのつながりを切ることなんてできないんだから。

 

だから、ここにあるのは「つながってない感」だけなんだよ。

 

 

この調子で、ぜんぶイケる。

 

「タイミングが微妙にズレている感」があるだけ。

 

「運がよくない感じ」がするだけ。

 

「うまくいっていない感じ」がしているだけ。

 

 

で、実際は

 

「大いなるものとつながっていて、タイミングはばっちりで、運はよくて、うまくいっている」

 

ってこと。

 

 

OK?

 

大事なことだから、もっかい言うね♪

 

 

実際には

 

「大いなるものとつながっていて、タイミングはばっちりで、運はよくて、うまくいっている」

 

ってこと。

 

 

 

だから「感」っていうのを、すごく大切にしたほうがいいんだよね。

 

 

清潔とかもそうじゃん?

 

「清潔であること」よりも、「清潔感」が大事でさ。

 

 

実際には、誰しも菌まみれなワケであって。

 

今は、むかしは汚いとされていなかったものが「汚い」と勘違いされていて。

 

平安時代なんかはシャンプーしてなかったんだから。

 

 

 

だから、「汚い」っていうのも幻想で。

 

「清潔かどうか」じゃなくて「清潔感があるかどうか」、つまり感じる側の問題なんだよね。

 

 

 

だから「感」を大切にする。

 

 

具体的には「うまくいってる感」「つながってる感」「タイミングばっちり感」を感じればいいわけなんだよね。

 

 

それは

 

「うまくやろう」とか

 

「つながるぞ!」とか

 

「タイミングばっちりでありたい!」と

 

願うことじゃなくて。

 

 

それはぜんぶ余計な意識。

 

 

ただ「うまくいってない感」を捨てれば、「うまくいっている」のを思い出すってわけだ。

 

 

んじゃ、どうすれば「うまくいってない感」を捨てられるのか。

 

 

ってか、そもそも「うまくいってない感」はどこからくるのか。

 

 

 

それはもちろん「からだの軸」の崩れであり、「呼吸の詰まり」なんだよ。

 

 

呼吸が詰まってくる。

 

姿勢が崩れてくる。

 

「からだの軸」がゆがんでくる。

 

 

そのカラダの「(ちぢ)こまり感」が「うまくいってない感」を生み出してるんだ。

 

 

 

そしたら、どうすればいいかは明白。

 

ただただ「からだの軸」を整え、呼吸を通す。

 

 

ホントにそれだけ。

 

 

それだけで、不思議と運命は打開されていく。

 

 

だまされたと思ってやってみ♪

center-muscle.hateblo.jp