「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「じぶんは弱いのだ」と認めたとき、強くなれた気がしたよ。

じぶんの弱さを認めたからこそ、強みが見えてくる。

 

ハラ生き道は、ぼくが、おぜっきーの弱さを受け入れたときに誕生した。

 

 

ぼくは、学生のころは夢みるオタクくんでした。

 

合気道が大好きで、稽古ばかりしていた。

 

1週間に20時間くらい稽古していた気がする。

 

 

それは今にして思えば、

 

「強さへの憧れ」

 

だったし、それはもちろん「弱さを認めたくない」ということの裏返しだったのだ。

 

 

ぼくの夢は合気道の達人になることだった。

 

何人(なんぴと)がかかってきても、ひょいと指一本で投げ飛ばしてしまう。

 

 

そんな映像を見て興奮しては、

 

「いつかは自分もあんなふうになれるんだ」

 

と勘違いしていた。

 

 

しかし、それははじめから、どだい無理な話だったのだ。

 

 

どうしてケンカもしたことのないひ弱な男が、武道の達人になれるかもしれないだろうとおかしな夢を抱いたのだろう。

 

 

それは、じぶんの弱さ、貧弱さ、男らしくなさを受け入れたくなかったから。

 

「武道の達人」という夢を見ることで、じぶんの弱さから目をそらしていたのだ。

 

 

でも、どうしたってぼくは弱かった。

 

殴り合いのケンカなどしたこともないし、体力・筋力があるわけでもない。

 

筋トレしても、それほど筋肉はつかないし、食べても食べても太らない。

 

 

そもそも、内臓からして強いほうではない。

 

すぐ下痢になるし、大腸コンプレックスでどこに行ってもトイレがそばにないと不安だし、すぐ疲れる。

 

 

なんとか、その「弱さ」をないことにしたかったんだよね。

 

で、これ書いてて今、気がついたんだけど

 

「おかあさんを安心させたかった」

 

んだね。

 

 

からだは強くないし、ビビりだし、そんなぼくを育てながら

 

「男の子なのに、この子だいじょうぶかしら」

 

と、母はずいぶん心配したんじゃないかな。

 

 

長男だし、いろいろ分からない部分もあったのだろう。

 

 

それで、強くするために心を鬼にして水泳に通わせたと、そういえば言っていた気がする。

 

 

記憶にはないが、理論的にはそこでぼくは

 

「よわい自分ではダメだ。よわい自分ではおかあさんを心配させてしまう」

 

と強がるクセがついたのだろう。

 

ああ、おれがずっと強がってきた根っこは、ここにあったのか。

 

そこには、けなげにも「おかあさんを守らねば」という意識もあったのだろう。

 

 

ただ、このことに気づく前に、ぼくは「武道の達人」になることをあきらめた。

 

どう考えても、ぼくには武才がない。

 

むしろ「弱い」という才能しかなかった。

 

 

 

だからこそ、ハラ生き道が生まれたのだ。

 

武道の身体遣いは、めっちゃ面白い。

 

けれども武道の土俵では、どうあがいても達人になれない。

 

ぼくより「強いヤツ」は星の数ほどいるのだ。

 

 

ではどうするか。

 

ぼくの「研究する才能」「オタクとなり極める才能」を活かし、一般の人向けのわかりやすい道を作ること。

 

それが、ぼくの使命みたいなものになった。

 

どうやって生活に活かすのか。

 

どうやって、武術の身体遣いで、からだの痛みを取るのか。

 

武道的なコミュニケーションで、生きることを楽にするには?

 

武道のもつメソッドを活かして売上を上げるとは?

 

誰かに「勝つ」ためじゃなく、じぶん自身の才能を生かすには?

 

それをいかに伝えるか?

 

 

そんなことに腐心してきた。

 

その結果、体系化されたのが「ハラ生き道」なんだ。

 

 

だからもしぼくが、「弱さ」を認めきれず、その反動で「強さ」に憧れていたら、中途半端な「仲良し武道クラブ」みたいになっていただろう。

 

そしてきっとそこには、「弱さを認めきれない武道オタク」が集まってきたことだろう。

 

それで、実戦では使えないような技を見せびらかして、「強くなった気」を堪能するんだ。

 

 

けれども今、ぼくの周りには、めっちゃ素敵な人がいる。

 

ハラ生き道を学ぶ「ハラ塾」には、ほんとうに素敵な人ばかりが集まってくれている。

 

それが心からありがたい限りなんだよね。

 

 

みんなが、ぼくの弱さ、ダサさ、カッコ悪さを十分に知っている。

 

その上で愛してもらっている。

 

これ以上に、ほぐれた関係はないんだ。

 

 

弱さを認めたら、俺じゃなくなっちゃう気がしてたんだよね。

 

弱いことがバレたら、嫌われちゃうと思ってたんだよね。

 

しかもそれを、ブラックベルトでごまかせると思ってたんだよね。

 

 

 

バッカだなぁ。

 

 

いかにもバカだよ。

 

でも可愛いのよ。

 

よく突っ張ってがんばったよねって。

 

根っこは「おかあさんを心配させたくない」「おかあさんを守りたい」って思っただけだからね。

 

 

いいんだよ、オトナは「自営」できるんだから(笑)

 

 

子供はオトナを守らなくていいの。

 

弱いまんまで愛されちゃっていいんだよ。

 

 

強いも弱いも、同じ価値なの。

 

どっちも大切なの。

 

 

そうやって「弱さ」を受け入れたとき、はじめて強くなれた気がしたよ。

 

 

じぶんのネガティブ部分に光を当ててあげる。

 

それは見たくないものを見るということだけどね。

 

その怖さに向かい合うハラを育てるということ。

 

からだの軸がしっかりすれば、見たくないものを見れるようになるからね。

 

ハラを育てるには、たとえばこんなやり方があるよ。