「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「メンヘラ男子。」 ~”勝手に傷つく人”との付き合い方~

一般に「メンヘラ」とか「かまってちゃん」と呼ばれるタイプの人がいます。

 

基本ネットでは、disられる対象なのですが、実はこのタイプは、新時代のカギを握っているのです。

 

 

 

メンヘラというと、パッと女子をイメージしますが、もちろん「メンヘラ男子」もいます。

 

わかりやすい例でいくと、DVとかギャンブル依存、お酒たばこ依存の人。

 

 

こういう人をまとめて「メンヘラ男子」と呼ぶことにします。

 

 

面白いことに、メンヘラの人というのは「人間的魅力」というより、どこか「性的な魅力」があるものです。

 

なにか「カラダで惹きつける」というような不思議な雰囲気を持っています。

 

 

初対面はいい人。

 

 

それが知り合いになって、たとえば恋人関係などになると、とつぜん豹変し、ものすごーーいブラックな顔、残虐な顔、自分勝手な顔に豹変します。

 

 

コミュニケーションは、基本的にすべて脅しで、

 

「あなたがYESと言わなかったら、何かを壊す」

 

というような強迫的な対話しか知りません。

 

 

そしてもちろん暴力的な一面を持ち合わせています。

 

ってか実際に殴ってくる。

 

で、その割によく泣くwww

 

 

 

と、「メンヘラあるある」になってしまいましたが、ふつうの記事だと、

 

「だからメンヘラと付き合うのはやめましょう」とか

 

「こんなメンヘラ男子とは、すぐに別れなさい」

 

となるところです。

 

 

 

けれども、ハラ生き道ではそれでは面白くないので、もうすこし踏み込んでみます。

 

 

それは<「メンヘラちゃん」「メンヘラ男子」と付き合うことになった自分>を省みるということです。

 

 

ハラ生き的に考えると、

 

「メンヘラ男子」と付き合うことになった人は「メンヘラちゃん」です。

 

 

「メンヘラちゃん」に興味を惹かれ恋人になる人は「メンヘラ男子」です。

 

 

 

ただ、見た目にわかりやすいか、分かりにくいかの違いはありますね。

 

「ただのメンヘラ」と「隠れメンヘラ」があるのです。

 

 

「隠れメンヘラ」の人は、表面的にはとっても明るいです。

 

ムードメーカーだったり、社会的に成功していたりする。

 

けれど、「さみしさ」を内面に抱えている。

 

 

「まんまメンヘラ」の人は、わかりやすく「うつ」になってみたり、手首切ってみたり、精神薬を飲んでみたりします。

 

 

 

ただ、いずれにせよメンヘラの人の最たる特徴というのは

 

「面倒くさい」

 

ことです。

 

 

「すぐに傷つく。勝手に傷つく」

 

「いちいち反応してくる」

 

「プライド高すぎ。もしくは低すぎ」

 

という感じで、コミュニケーションが取りにくい。

 

やたら下手に出るか、もしくは気難しい。

 

 

まぁ、やっぱりまとめて言えば

 

「面倒くさい」

 

のです。

 

 

 

で、この「面倒くさい」というが、最大のポイントになります。

 

 

ぼくが思う、「最大に面倒くさいこと」というのは「育児」ですね。

 

 

育児は、愉しいかもしれない。

 

幸せかもしれない。

 

 

ただそんなことよりなにより

 

 

「面倒くさい」

 

 

 

それが、ぼくの偽りなき本音です。

 

こういうところはね、キレイゴト抜きでいきたいんですよ。

 

 

 

だって、他人なのにウンコの処理とかするんですよ?

 

ゲロはいても、こっちで処理するんですよ?

 

時間ないのに「かまってかまって、こっちをずっと見ていて!」

 

ってまとわりついてくるんですよ?

 

超メンドイじゃないですか。 

 

 

そう、「こども」というのは最強の「メンヘラちゃん」なのです。

 

 

 

で、面白いことにこちらが「メンヘラ男子」のうちは、「育児」が苦痛で苦痛で仕方ないのです。

 

 

ぼくは、子ども生まれてから休日がけっこう苦痛で、「おとな」相手に仕事しているほうが、ナンボか楽でした。

 

 

だから「ひとりになりたい」っていう欲求が、すごく強かった。

 

 

それが5年半もパパをやっていると、だんだん「メンヘラ男子」が治ってくるんでしょうか。

 

 

家族でいる時間、自分勝手にできない時間が、幸せに感じられるようになってきたのです。

 

 

 

で、何が言いたいかって、

 

「あなたの前にいる<メンヘラ男子><メンヘラちゃん>」は、あなたに<面倒くさい>」を体験させるために存在しています」

 

ということなんです。

 

 

この「面倒くさい」というのは、非常に深くて、

 

「アタマが働くとき」

 

「焦っているとき」

 

「世界と共鳴できていないとき」

 

「おかませ・ゆだねができていないとき」

 

「自分勝手に動きたいとき」

 

 

に出てくる感情なのです。

 

 

で、これを乗り越えていくと、めっちゃハラ生きレベルがあがるのです。

 

わかりやすく言うと、器が広がります。

 

「おとな」になります。

 

逆に「面倒くさい」から逃げると、また同じレベルにとどまるのです。

 

 

 

メンヘラ男子をdisるのはカンタンです。

 

そうしたら、周りの友達が

 

「えー、それはメンドくさい!」

 

「それは、つらいよね」

 

「ありえなーい」

 

なんて同調してくれて、彼を悪者にすることができます。

 

 

そして自分は「ただしい被害者」になることができます。

 

そうやってエゴを納得させることはカンタンです。

 

 

けれども本当は、そんな愚痴をこぼすまえに、そのメンヘラ男子と別れればいいのです。

 

 

それも「別れる!」と脅しをかけることなく、スッとその場から消えればよいわけです。

 

 

それをいちいち愚痴を言ってみるのは、

 

「わかってほしい」

 

「じぶんが被害者で、ただしいのだと証明したい」

 

「ほんとは、そんなメンヘラ男子が好き」

 

ということなのです。

 

 

つまり、じぶん以外の他者を批判するのは、滑稽なこと以外の何者でもないということなのです。

 

 

 

ではハラ生き的には、どうあるべきか。

 

 

それは

 

「一生付き合うのか、今ここで別れるのか決めること」

 

 

です。

 

 

 

メンヘラさんが欲しいのは、「絶対的な安心」なのです。

 

もちろん本来的には、恋愛に「絶対的な安心」などありえません。

 

 

けれども、そういった理屈を超えて、「絶対的な安心」が欲しいのです。

 

 

その「絶対的な安心」というのは「一生付き合う覚悟」なのです。

 

 

基本的にメンヘラさんというのは

 

「やたらと深い付き合いを望む」か

 

「やたらと浅い関係を望む」ものです。

 

 

つまり、適正な距離が分からないのです。

 

だからこそ「一生付き合う」というのは、とても怖いのですね。

 

 

「隠れメンヘラ」の人は、「いつでも逃げられる浅い関係」を好みます。

(それは深い関係を築きたいという欲求がありすぎるからなのですが)

 

たとえば、子どもができたと分かったらトンズラするとか。

 

 

だからこそ、「どうにも逃げられない面倒くさい関係」にあえて突入することで、じぶんのハラを磨くことができるのです。

 

 

「かまってかまって」にしっかり向き合う。

 

「本来的にはありえない<絶対的な安心>を与える」

 

「じぶんよりも目の前の人を優先する」

 

 

それはハラの据わった「おとな」にしかできないことです。

 

逆にじぶんがメンヘラであっても、この覚悟をすることで、メンヘラから徐々に脱却できるのです。

 

 

 

ぼくは、思う。

 

 

誰しもが「メンヘラ」なのだと。

 

そして、そのことを認め、「じぶんのなかのメンヘラちゃん」を受け入れ、目の前の「メンヘラさん」を愛することで、

 

人はオトナになっていくのだと。

 

 

 

誰かと深く関わりながら、依存しないのはとても難しい。

 

けれども「ハラ」と「軸」で、じぶんの境界をコントロールできれば、深い関わりながら、深い関係を保つことができる。

 

 

そして、相手と(そして自分が)メンヘラだからこそ、

 

「誰かの絶対的な味方になる」

 

という練習ができるのだ。

 

 

それははからずも「じぶん自身の絶対的な味方になる」という練習にもなる。

 

 

 

だからこそ、「メンヘラ」を切り捨てることは、じぶん自身の一部を切り取ることになってしまう。

 

「メンヘラ」とdisるのではなく、その傷に丸ごと寄り添っていく。

 

 

ハラ生き道では、そんなあり方を推奨しています。