「俺、もっとできそうな気がするのに」というモヤモヤの解決法。
昨日さ、すごいことに気が付いたんだよ。
薄々、「じぶんは達人じゃないなぁ」と思っていたんだけど、本当にそうだったんだよ。
俺さ、昔から「達人になりたい」って願望があったんだよね。
「名人」でも「天才」でもいいんだけど、そういうタイトルが欲しかった。
だから合気道でも「達人」になろうと思って、学生時代はもちろん、社会人になっても「修業」してたんだよね。
でも俺、どう考えても武道のセンスないんだよね。
痛いのキライだし。
けど、そういう「女々しい」部分を受け入れてなかったんだよね。
だからこそ、男性的な「武道」なんてやりたかったんだと思う。
でも結局「武道マニア」の域を出るものじゃないのは、はじめから分かってた。
「達人」に憧れ「修業」をしたとしても、実戦がなければ机上の空論なわけ。
ってわけで武道は趣味に留め、今度は整体で「達人」になろうと思った。
これも一生懸命勉強して研究して。
だけど、やっぱり「達人」にはなれなかった。
もちろん、お金をいただく程度の技術も知識も経験もあります。
けれど、「達人」というレベルではないなぁって「じぶん」で知ってる。
それでよくよく考えてみると「達人」の人って、「達人になりたい」っていう欲求を持たないんだよね。
たとえば武道の達人だったら「強くなりたい!」ということを突き詰めていくうちに達人になるとか。
絵の達人だったら「絵が好きで描き続けていたら達人になった」とか。
結果論なんだよね、達人は。
でも俺は「達人」になりたかった。
「達人」に憧れた。
それは、そもそも
「じぶんは凡才・凡人・凡夫である」
って思いが、潜在的にあったんだよね。
根っこの「あり方」が「ふつうの人」なわけだ。
そして、そんな「ふつうさ」が許せなかったんだよね。
だから
「がんばれば達人になれる」とか
「この俺が、凡人なわけがない」とか
「もっとできる気がするのに」とか
ありもしない妄想を並べ立てて、精神安定剤にしてたんだよね。
でも違ったんだよ。
もう気づいちゃったんだよ。
おれは凡人なんだ。
達人にも天才にもなれぬ、才能のない「ふつうの人」なんだ。
ここがめっちゃ腑に落ちたんだよね。
もちろん以前から「俺はふつう」って言ってたんだけど、どこか
「『ふつうですよ』って言っておいたほうが謙虚でいいな」
っていう思いがあったんだよね。
ズルいよねぇ。
それもさ「本当にスゴイ人は普通っぽい」みたいな知識が先行していた気がする。
そのわりに「変人です」みたいなことをアピールしてみたりして。
でも「変人アピール」も「ふつうの人」が「わかってほしく」てやるだけでしょう?
だから、「達人」ではないけど「変人」です、みたいなのも「逃げ」なんだよね。
でもね、おぜっきーは諦めましたよ。
「達人にも名人にもなれぬ。おれは凡才なのだ」と。
この気づきから、どんな変化が出てくるかは分からない。
けれど、とりあえず「達人願望」は置いておいて、「今できること」をやっていきたいと思うよ。
「ふつうの凡人」だから、何もできないんじゃない。
「ふつうの凡人」だからこそ出来ることって、たくさんあると思うんだ。
その「あきらめ」から才能は開花してくるんじゃないかなぁ。