「いちばん近くの人」と向き合え!~自分の「影」に目を向ける~
もしあなたが今、トラブルを抱えていたり、さらにブレイクスルーを目指したいなら、今すぐにでも「いちばん近くの人」との関係を見直すことだ。
あなたが今、いちばん見たくなくて、いちばんごまかしたい「本質的な問題」は、かならず「いちばん近くの人」が見せてくれる。
それを見ないようにして、表面的な問題を解決しようとしても、こじれるだけだ。
あなたにとっての「いちばん近くの人」は誰だろうか?
ダンナさん?
奥さん?
お子さん?
お母さん?
それともお父さん?
ぼくらにとって、いちばん難しい人間関係は「いちばん近くの人」だ。
なぜなら、近ければ近いほど、「自分の見たくない部分」を「鏡」として映し出してくれるからだ。
今日は、その「投影」の仕組みについて書いてみたいと思う。
たとえば、ダンナさんが「自分勝手」だとする。
奥さんは、そのことについて不満を抱えている。
で、その場合はどう解釈するかというと、
「奥さんが、じぶん自身の”自分勝手”を認められないでいる」
というふうにハラ生き道では解釈する。
奥さんは、まだまだ自分の中に「自分勝手」な部分を持っている。
けれども「自分勝手はいけない」という思い込みで洗脳されているので、自分は「自分勝手ではない行動」を心がけている。
つまり「自分勝手じゃない人間を演じている」ということになる。
しかも「そうありたい」のではなく「自分勝手はいけない」という「いい/わるい」の価値基準で考えて「良いことをしよう」としている。
そして、その「良いことをしよう」という意識によって「自分は良い人間である」といふうにごまかしている。
そうやって「自分の悪い面を見ないようにしている」のだ。
そうすると、ちゃんと「いちばん近くの人間」が、「鏡」となって、いちばん見たくない部分を強引に見せてくれるのだ。
それが「夫が自分勝手」という現象なのだ。
OK?
「投影」に慣れない人には、「???」となるかもしれないけど、ハラ生き道では大切な考え方なので、よく考えてみてほしい。
もう一例いってみよう。
たとえば「奥さんが感情的で困っている」とする。
その場合はダンナさんが、
「感情的なのはいけないことなので、理性的であろう」
と「感情的じゃない人間を演じている」のだ。
そして「本当の自分」をごまかして、「自分は理性的・合理的な人間」みたいな顔をしている。
それには、生きてくるなかのどこかで
「感情的であってはいけない」
「理性的でなければならない」
という洗脳をされてきたという過程がある。
そのせいで「ありたいようにある」のではなく、「こうあるべき」に捉われてしまっている。
すると、自分の中で日常は目を背けてたい「感情的である」という部分を、「いちばん近くの人」が見せてくれることになる。
それが「奥さんが感情的」という現象なのです。
こういう感じで、周りの人を見ていく。
「誰々は、〇〇で困るなぁ」
「こうしたほうがいいのになぁ」
という「否定感」が出るとき、それは「自分の見たくない部分」に対する否定感なのだ。
だからこそ、最大の「見たくない部分」を見せてくれる、「いちばん近くの人」をしっかり見据える必要があるんだ。
はっきり言って、「いちばん近くの人」から逃げてハラ生きもクソもない。
ごまかしなく、真正面から、「いちばん近くの人」と向き合う。
それは、つまるところ「自分との対話」なんだけど、自分は自分では見えないんだ。
かならず「鏡」が必要になる。
それが「いちばん近くの人」なんだ。
あなたはその鏡を真正面から見据えることができますか?
「いちばん近くの人」が持っている「いちばんイヤな部分」。
それをあなたも隠し持っているんだ。
そう言われても納得できないでしょう?
「わたしは、あの人とは違う」
そう言いたいでしょう?
でも違うんだ。
誰しもクソな部分を、奥底に抱えているんだ。
超絶美人でも、大腸にウンコを抱えているのと同じだ。
それを今すぐに全部みとめるのは、難しいかもしれない。
けれども、それを少しずつ受け入れていくことによって、だんだんと、あなたはあなたに還っていく。
それは、まぎれもない「幸せの道」なんだ。
さぁ、今までズルをしていた自分の心に目を向けてみよう。
そこに罪悪感はないだろうか。
「逃げてたな」という反省はないだろうか。
もしあるのならば、今日から「いちばん近くの人」に向き合ってみよう。
それは、はからずも「自分自身の本質と向き合う」ということになるんだ。
そして「自分自身」と本気で向き合いはじめたとき、あなたのハラはさらに活性化してくるだろう。