正確には「ありのままでいい」んじゃなくて『ありのままでいいのに』なのだ。
「ありのままでいい」
まー、3年くらい使い古されて、そうとう飽きてきた感じですよね。
ぼくのように
「ありのまま…」と聞いた瞬間にヘドが出てしまう人もいるでしょう。
なんで、このフレーズが誤解されて広まるかというと、「エゴ」の視点で考えるからなのです。
「エゴ」は、変化を嫌うし、安定とか安楽を望みます。
だから、「ありのままでいい」と聞くと、「しめた」という思いになります。
「やったー、変わらなくていいんだー」と。
そして、「つまらない自分」のまま「つまらない毎日」を送っていくわけです。
「だって、ありのままでいいんだもーん」と言い訳をしながら。
けれども、「ありのままでいい」という言葉は、本来的にはハラで捉えるべきなのです。
そうすると、「ハラ的な自分に戻ってもいい」という意味になります。
なんなら「ハラ的な本来の自分に戻ったほうが絶対的に愉しいよ!」っちゅうことになるわけです。
そいでそれを「エゴ」でもわかるように翻訳してみると、「ありのままでいい」じゃなくて、
「ありのままでいいのに」
となるのです。
そうすると、
「ありのままでいいのに」、
すごくムダなものをたくさん身に着けている。
「ありのままでいいのに」、
顔にも心にもお化粧して過ごしている。
「ありのままでいいのに」、
いい人のふりして、勝手に疲れている。
というように、ちゃんと文脈が通じるようになるのです。
そもそも、「ありのまま」になり切れている人なんていないのです。
偉そうに講釈を垂れているスピの先生も、愛と感謝が大好きなヒーラーさんも、心理系の学問を学びまくったコーチも、
「ありのまま」
になんてなれていない。
どれだけ悟ったような人でも、どこかしら気取ってしまうものです。
いやむしろ、「ありのままでいい」と誰かに諭している人ほど、「ありのままの自分」を探しているものなのです。
「ありのままでいいのに」、
ぼくらは、気取って、気負って、カッコつけている。
だからともに「要らないもの」を捨てていこうよ。
俺もまだまだ、重い荷物かかえてるけどさ。
そんなふうに、このフレーズを捉えなおすと、また「ありのままでいい」の新しい一面が見えてくるんじゃないかと思う。