自己否定も、無価値感も、かなしみも、よろこびも、すべて抱きしめる。
鈍感でパワフルで、頑丈だという才能を持つ人がいる。
いっぽうで、傷つきやすく、繊細で、鋭敏だという才能を持つ人がいる。
異常に高い自己肯定感を持つ人がいる。
かたや、異常に高い自己否定感を持つ人がいる。
まったくと言っていいほど、涙を流さない人がいる。
対して、いつでも涙を流している人がいる。
そこにある多様性の美しさ。
咲き乱れる個性。
あなたもまた、その美しい花園の一部なのだ。
だから「自然」の「一部分」と書いて「自分」と読む。
いまそこに流れる一条の涙。
不安に打ち震えながら、一歩を踏み出す臆病者の勇気。
自分を責めて、自分を苦しめ、自分をさいなむ心。
その色とりどりの事象の原材料は、すべて美しさなんだ。
あなたの、そのしょうもない性格も、どうしようもない人格も、だらしない体格も、ゆがんだ骨格も、神様が創ったものなんだ。
だから、そのままでいいじゃないか。
苦しいから変えようとしているんじゃない。
変えようとするから、苦しいんだ。
そのまんまでいいじゃないか。
かなしみも、にくしみも、愛しさも、優しさも、いやらしさも。
いま、あなたが体験している感情は、「あなた」が求めた感情なのだ。
だから、それを精一杯あじわえばいい。
さぁ、ハラを開いて、ハラに訊いてみよう。
「この悲しみは、あなたの喜びなんですか」と
「この憎しみも、あなたの喜びなんですか」と
「この怒りさえも、あなたの喜びなんですか」と。
ハラはいつでも理不尽で、理論も理屈もない。
だから、ぼくらが理不尽になり、論理を捨てたとき、ハラと同化し、ハラの喜びにフォーカスすることができる。
そのとき、「この世は美しさで出来ている」ことが体感できるのだ。