ちゃんと落ち込んで、ちゃんと悩めるってことは、美しいことなんだよね。
ハラで生きるってことはさ、落ち込まなくなるってことじゃないんだよね。
落ち込んだり、悩むことがなくなったら、つまらないんだよ。
落ち込むことがなくなったら、喜びもなくなるよ。
悩みがなくなったら、道がひらけたときの嬉しさもなくなるよ。
ハラで生きることのコツは、「堪能する」ってことなんだよね。
落ち込むことを堪能する。
悩み苦しむことを堪能する。
悲しみを堪能する。
その「堪能する」ことのなかに、味わいがあるんだよね。
それは、なんでもかんでも手放しで喜ぶようなアホさじゃなかったりする。
プラス思考なふり、ポジティブなマネとも違う。
人間ってさ、深い呼吸をしていると気持ちいいんだけど、その「深い呼吸」の気持ちよさを味わうために、
「呼吸を浅くしたい」
っていう欲求を持っているんだよね。
だから、あえて「呼吸が浅くなるようなこと」を求めるの。
たとえば恋愛とかね。
恋って、苦しいでしょう?
会いたいのに会えない。
相手がこっちを好きかどうか分からない。
好きすぎて、ご飯がノドを通らない。
これってさ、明らかに「ストレス状態」と同じなんだよね。
ジェットコースターもそうだよね。
身体が(仮想の)「危険」にさらされるわけだから、「ストレス状態」なんだよね。
お化け屋敷も、もちろん同じ構図。
だけど、人は、そんな「ストレス状態」をあえて求めるわけ。
それは「呼吸が浅い状態」にしたいから。
つまり苦しみたいんだよ、ぼくらは。
なんで苦しみたいかって、
「苦しみも喜びの一種だと知っているから」
なんだよね。
いや「苦しみも喜びの一種だと知っているやつが、自分の中にいる」って感じかな。
呼吸が浅くなることも、そこから抜け出して呼吸が深くなることも、どちらも喜び。
その両方の体験を堪能することこそが、喜びなんだって、身体は知っているんだよね。
小学生のときとか、プールで息止め対決とかしたでしょう?
あーゆーのも全部、「ふつうの呼吸に飽きちゃって、苦しくなりたい」んだよね。
だからね、いま落ち込んでたり悩んでいたりする人は、
「この落ち込みや、この悩みこそが愉しみなんだ」
ってまず思ってみたらいいんじゃないかな。
よーく、自分の中身を観察してみて。
きっと、
「このトラブルがたまらないんだよなぁ」とか
「ここでこそ本領発揮だ」とか
「この落ち込みから学べることが多いんだよなぁ」とか
なんかマゾっていうか、ヤバいやついるから。
で、そいつが本体なのよ、自分の。
いま落ち込んでるやつは、本体じゃないの。
本体はさ、 つまりハラは「平坦な道」なんかはつまんないのよね。
デコボコ道で、右往左往してさ、ワインディングロードを愉しみたいんだよね。
だから、落ち込みも悩みも変える必要なんてないんだよ。
ただただ、それを堪能してみる。
そこにこそ、「美しさ」があると思うな。
すべては、「美しさ」からできていると思うんだ。