「わたしは素晴らしい」=「わたしはクソ野郎」
「わたしは素晴らしい」を受け入れることは、「わたしはクソ野郎」を受け入れること。
逆に「わたしはクソ野郎」を受け入れることは、「わたしは素晴らしい」を受け入れること。
この「幅」が広がることが「楽になる」ってことだ。
「わたしはまだまだ未熟です」という人は「とはいえクソ野郎ではございません」と主張する。
「わたしは美人です」と受け入れると、「わたしはブスです」も受け入れることができる。
「わたしなんて美人じゃないです」と否定する人は「とはいえブスでもございません」と否定する。
つまり「受け入れる」人は、プラスもマイナスも受け入れる。
「否定する」人は、プラスもマイナスも否定する。拒否する。
与えない人は受け取らない。
受け取らない人は、与えない。
与える人は、受け取る人。
受け取る人は、与える人。
そこには
「どうでもいいやんけ」
が入っている。
「わたしは素晴らしい?わたしはクソ野郎? どっちでもいいやんけ」
「わたしって美人?ブス? どうでもいいやんけ!」
そう、じぶんがどんな自分であろうと、「世界と響きあうために、いま、ここで、できること」だけが大事。
いま、あなたに「できること」ってなんですか?