無能なあなたには「そこにいるだけ」という価値がある。
世の中には2種類の人がいます。
それは
「有能な人」と「無能な人」です。
これまでは「有能な人」だけが重宝されてきました。
それがハラ生き道では「無能な人」と「有能な人」では、まったく同じ価値があると考えます。
「有能な人」は、難しいことが好きです。
言語を使って思考し、「なぜ?」を追求し、問題を解決しようとします。
「無能な人」は、難しいことがキライです。
なぜなら難しいことがサッパリ理解できないからです。
言語を使わず、理由を求めず、問題があっても問題があると気づきません。
「有能な人」は、さまざな新しくて便利なものを生み出します。
文明を発展させてきたのは、まぎれもなく「有能な人」です。
有能な人は、すばらしいコンテンツを持っています。
「有能な人」は「できる」「やる」ことに価値があります。
「無能な人」は、人類が自然のままでいることに貢献してきました、
「無能な人」は、何かを学び身に着けようとしても、途方もない時間がかかるか、もしくはぜんぜん身につきません。
「無能な人」は、ほとんどコンテンツも武器も持ちません。
それは、「身につけられない」という側面と、「身に付ける必要がない」という側面があります。
つまり、「無能な人」は「そこに存在すること」に価値があるのです。
さて、あなたは「有能な人」ですか?
それとも「無能な人」ですか?
もちろん、これは「性質」なので、誰しも「有能な側面」と「無能な側面」を持ち合わせています。
たとえばぼくはブログを書き始めると「有能」ですが、運転して地図を読もうとすると途端に「無能」になります。
なので嫁さんが運転する横にチョコンと座り、話し相手をするのですが、それはそれで価値があるのです。
(すごいブロックのある人が、「そこはやっぱり男が運転しなきゃ」とか言ってたなー(笑))
ひとりで運転って退屈だからね。
隣にいてあげるだけで素晴らしいwwww
だから「有能タイプ」にも「無能タイプ」にも、ちゃんと役割があるのです。
「有能タイプ」の人は、誰にもマネできない成果を出して社会を牽引する。
「無能タイプ」の人は、「あの人ができるなら、私にもできる!」と一般人に希望を与える存在となる。
あと「有能タイプ」の人は、総じて「心のつながり」みたいなことが分からないので、それを「無能タイプ」に教えてもらうという関係性になります。
人間として有能であればあるほど、ヒトとしてのコミュニケーションが苦手です。
人間として無能な人は、動物的な非言語コミュニケーションを得意としています。
そして、実際には「非言語コミュニケーション」のほうが「ぜんぶ伝わる」んですね。
言語化してしまうと、「漏れ」が出てくる。
「ことば」というのは、そういう脆さを持っている。
なので、
「有能な人」は、「無能な人」に、「心のつながり」を教えてもらう。
「無能な人」は「有能な人」に、現実的側面、具現化、見える化、のようなことをサポートしてもらう。
そういう関係性になると、お互いがリスペクトできていいですね。
そうやって「すべての価値観」を受け入れていくのがハラ生き道です♪