「やらされ感」があるのは、「ちゃんと背負ってない」から。
「〇〇をしなきゃ」
「あれをやらなくちゃ、これをやらなくちゃ」
「やりたいわけじゃないんだけど…」
義務感、やらされ感で仕事やらなんやらをしていると、すごい疲れてしまう。
体力も奪われるし、だんだんと「生きる意味」すら分からなくなってしまう。
「なんで、こんなことばかりしなきゃいけないの…」
「やらされ感」は、人生の彩りを見事に奪っていく。
一体この「やらされ感」どこから来るんだろうか。
それは実は
「責任を毛嫌いする」
という姿勢から来ている。
ぼくらは自由を勘違いして、「責任を取りたくない」と逃げれば逃げるほど、「責任」に苦しめられるように出来ている。
この図を見てほしい。
これが、「責任から逃れたい」と考えているときだ。
からだの軸から「責任」を離してしまっている。
だから、「テコの原理」で、「責任」をすごく重く感じてしまうのだ。
そして「からだの軸」が崩れているから、動くこともままならない。
これが「責任を毛嫌い」しているときの状態だ。
かたや、こちらの図を見てほしい。
「責任」を、からだの軸でしっかりと受け止めている。
すると、思っていたほど「責任」は重くないものだと分かる。
そして、「からだの軸」が崩れていないから動きもスムーズだ。
もちろん生きるのに楽なのは、「責任」を「からだの軸」で支えているとき。
ではいったい、どうしたら「責任」を「からだの軸」で支えられるようになるのだろうか。
それには2つの方法がある。
一つは「えいや」で覚悟を決めてしまうこと。
「いまの状況は、じぶんで選んだんだ」とハラを括る。
「じぶんで選んだではないにせよ、とにかくやるしかない」とハラを括る。
そうやって、「今ある状況のなかで一生懸命やっていく」という覚悟をする。
それだけで、スっと「からだの軸」が整っていくだろう。
もうひとつは「腰をしっかりさせること」だ。
腰がしっかりしていないと、肩がしっかりしないので、「責任」を乗せることができない。
そして「重み」をかける場所が違っているので、どんどん肩が凝ってきてしまう。
逆に腰がしっかりしてくると、頭部や肩の位置が変わってくるので、物理的にかなりの重さまで耐えられるようになる。
ちょっと適当な動画がないけれども、「からだの軸」ができると、こういう「強さ」を使えるようになる。
それで、物理的に「耐えられるボディ」ができてくると、心理的にも「耐えられるボディ」になってくるのだ。
「健全な身体に、健全な魂が宿る」っちゅうのは、こういうことですな。
あなたは、ちゃんと「責任を背負えるボディ」が整っていますか?
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