「面倒くさい人」は「困ってる人」「傷ついてる人」
「面倒くさい人」っているよね。
自意識過剰な人。
気難しい人。
すぐに「ことばの暴力」をふるってくる人。
横暴でワガママで反省しない人。
暴力的な割りに、心が弱い人。
こういう「面倒くさい人」に、どう対応していいか分からずに困っている人って多いと思うんだ。
というわけで今日はハラ生き的「面倒くさい人への対処法」を書いてみたいと思うよ。
まずね、いちばんのポイントは、その「面倒くさい人」を「ゆるす」ってことなんです。
ハラ生きの法則「ゆるしたものが、ゆるされる」ね。
ゆるして「もらおう」と思うのは「うばう」発想。
ゆるして「あげよう」と思うのが「あたえる」発想。
もちろん「あたえる」人から豊かになっていく。
でもさ、ゆるそうと思ってもゆるせないでしょ?
だって、相手は常識外れなんだもん。
「ありえない」対応してくる「面倒くさい人」なんだもん。
「あんな人をゆるすなんて、ありえない!」
「なんで、私がゆるさなきゃいけないの!」
なんて憤りを覚えるかもしれないね。
つまり今、面倒くさい人への対応に困っているあなたは、
「ゆるせない人」
なわけです。
そこをまず認識してもらうといいね。
つまり「面倒くさい人」に対処することが苦しみなんじゃなくて
「ゆるしたいけど、ゆるせない」
ことが苦しみなんです。
OK?
そしたらさ、今度は「いかにゆるすか」ってことが課題になってくるでしょ?
で、目の前の「面倒くさい人」をゆるすコツなんだけど、それは
「じぶんのなかの<面倒くさい人>をゆるす」
ってことなんよね。
ほんで、「じぶんのなかの面倒くさい人」って誰なのかと言ったら、
「じぶんの中の困ってる人」
「じぶんの中の傷ついてる人」
なんだよ。
それで、その「困ってるじぶん」「傷ついてるじぶん」が
「わかってほしいよー」
「わかってくれよー」
って泣いてるんだよ。
で、この「ほしいよー」「くれよー」が、「じぶんの中の面倒くさい人」を生み出してるわけ。
だから、そんな「困ってるじぶん」「傷ついてるじぶん」を「わかってあげる」ことができればいいわけです。
「わかってあげる」ってのは、共感してあげるってことね。
それは、「感情に共鳴する」、ということ。
つまり、「いまのじぶん」が「かつての、傷ついて、わかってほしいと泣いてるじぶん」をなぐさめてあげるってことなんだ。
それこそが、「じぶんのなかの面倒くさい人をゆるす」ってことになる。
すると、「誰しもが<泣いてるじぶん>を抱えていること」に気づく。
なぜなら、すべての感情に共感してもらって育ってきた人などいないから。
誰もが少なからず我慢を強いられたり、論理で組み伏せられたりして、悔しい、かなしい、さみしい思いをしている。
それさえ分かれば、「目の前の面倒くさい人も、傷ついてたんだ」ということが分かる。
そして、ぞの傷ついてるやわらかい部分にアクセスしてあげるということ。
そうしたら、その人は「面倒くさい人」ではないことが分かる。
この人は「ふかく傷ついて、どうしていいか分からずに困ってる人なんだ」ということが見えてくる。
「自信もなくて、ここにいていいか不安で、じぶんが好きになれないんだ」と。
だからこそ横暴で、威張り散らしてて、こちらの気持ちに無関心で、じぶん勝手なんだと。
そしたら、見え方も対応も変わってくるよね。
そういう「弱ってる人」に対して、じぶんがいかに横暴な対応をしてきたかが見えてくる。
うまくすれば、そこに「ごめんね」と「ありがとう」が生まれるでしょう。
それが、「ゆるし」です。
そして、あなたが目の前の面倒くさい人をゆるすことができたとき、あなたも許されるのです。
これをけして表面上のことで済ませようとしてはいけない。
あなたが表面でゆるしたフリをしていることは、すぐに相手に見抜かれる。
逆に、心からの「ゆるし」が生まれた場合は、かならず相手にも届くように出来ている。
それは決して楽な道のりではない。
けれども、薄皮をはぐように関係性は変わっていくのです。
ぼくは、そう信じています。