「いま現在もウンコな話」をしよう。~乗り越えなくていいんだよ~
悟った人がする話はつまらない。
幸せな人がする話もつまらない。
何かを乗り越えたV字回復ストーリーもどうでもいい。
ぼくが聞きたいのは「いま現在もウンコな話」なんだ。
セラピストにありがちな
「ダメダメだった私が〇〇をして、幸せをつかんだ話」が、なぜ面白くないのか。
それは、リアルな人生に「ハッピーエンド」なんてないからだ。
子供向けの昔話なら
「それから、お姫様はイケメンの王子様とぜいたくなお城で暮らしました」
でいいでしょう。
でも、リアルライフはそれで終わりじゃないねん。
王子様と「けっこん」してみたら、からだの相性が合わないかもしれないでしょ?
子育てで意見が対立するかもしれないでしょ?
お妃さまがクソ野郎で、微妙な関係性になるかもしれないでしょ?
王子様だってハゲてくるかもしれないよ?
リアル人生に「めでたし」なんてないのよ。
それを子供だまし的に「めでたし」にしようとするから「ハッピーをゲットしました物語」が面白くないんだよね。
「不幸or幸せ」と区別してる幸せなんて、大したことないねん。
ハラ的な幸せってのは「不幸+幸福」なのよ。
シンデレラは「灰かぶり」といじめられているころから、ハラ的に幸せなの。
人魚姫は、海の底にいても、人間界に来ても、王子様と結婚しようがしまいがハラ的には幸せなの。
ぼくはね、人間の「魅力」って「未熟さ」だと思うんだよ。
「立派」で尊敬されるのもいいと思うけれどね、なんか疲れない?
それよりさ
「バカだよね」「そだねー」って言い合えたほうが、よっぽどラクじゃないかな?
「できないこと」
「うまくいかないこと」
「不幸なこと」
全部なんの問題でもないよ。
問題なのは、「問題」と捉えてしまうこと。
それは「からだが閉じている」からで。
目の前の人と、先人と、宇宙と、つながりを切ってしまうと「問題」が「問題」になる。
けれども「じぶん自身」と「他人」と「大いなるもの」とつながることができたなら、それはその場で「問題」じゃなくなる。
そこに「乗り越える」って発想はないの。
ハラ生き道では「そのまんま味わう」なんだよ。
自信がないとか自己否定が強いとかどうでもいいからさ、っていうか「そんなクソさ」を笑い飛ばすことができればいいわけで。
自信がなくってアホやっちゃったエピソード。
気兼ねしすぎておかしくなっちゃったエピソード。
自己否定が強すぎてやっちゃったエピソード。
そんな話があったらさ、最強に面白いやん?
それがなくて悟りきってて、乗り越えてて、幸せでって、ぜんぜん面白くない。
その「ハッピーエンド感」は「チャレンジしてない証」なんだよ。
だから、面白くないのよね。
だから「いま現在もウンコな話」にこそ価値があると思うんだ。
そうやって「笑われる」ことで、ハラもムネも開いていく。
直さなくていい。
ただ、「からだを開いて」いくことができれば、問題は問題じゃなくなるんだ。
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