「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

のんびりオジさんにたぶらかされるな。~言葉の「奥」を観ること~

ぼくはね、

 

「力を抜け」

 

というアドバイスは、とっても危険だと思うんです。

 

 

そもそも「力が抜けない人」とは「力の抜き方」を知らない人。

 

そして「軸」のことが体感できていない人。

 

そんな人が「力を抜け」というアドバイスにまかせて本当に力を抜いてしまったらどうなる?

 

ただの「ふぬけ」になるだけです。

 

 

ぼくが合気道の道場に通っていたとき、「力を抜け」とよく言われていました。

 

ほとんどの人が、そういった抽象的なことしか言えなかった。

 

なぜなら「力が抜けていない人」か「力は抜けているが、伝え方を知らない人」しかいなかったから。

 

 

で、今日は

 

「できているけど、伝え方を間違っている人」

「できているけど、再現性がない人」

 

の話をしたいと思う。

 

 

そもそも「自分ができる」と「伝えることができる」というのは、まったく別物なんです。

 

そして「できる」のレベルが高かったり、天才的だったりする場合ほど注意が必要だ。

 

 

たとえば、ある人がガッツリ仕事をしまくってガンガン成果を出していたが、つい頑張りすぎてカラダを壊してしまった。

 

それを期に、「がんばらない働き方」を見つけていったという体験をした人がいたとしよう。

 

そういう人は、元が「がんばりすぎる性質」があるので、「がんばらない」というメソッドが合うのです。

 

しかし「がんばらない」というのは真理でもなんでもない。

 

頑張りすぎている人にとっては素晴らしい教えになるけれども、「何のチャレンジもしてない人」「なまけている人」にとっては、むしろ毒です。

 

 

他にも、合気道の達人が長年の修行の末、「自然体」を体得したとします。

 

もうそのレベルでは、「ただ歩くだけで技になる」という状態。

 

そして、お弟子さんたちにこう言います。

 

「ただただ自然体でいればいいんじゃ」

 

と。

 

しかし、もしその言葉を「鵜呑み」にして、お弟子さんが何の稽古もしなくなったらどうでしょうか?

 

ただダラダラと生活して「これが僕の自然体です」なんて言い始めたら、武道をする面白みもなくなってしまう。

 

 

ビジネスやお金もそうですね。

 

きっちりと仕組みを作り上げた人が

 

「やりたいことだけやっていればいいんだよ。使えば戻ってくるから」

 

なんて言っても、いろいろな「あり方」の設定がズレている状態で使いたいだけ使ったら破産するだけです。

 

 

つまり、「達人」の言葉をそのまんま信じるのは危険だということです。

 

「その道の達人」であっても「教える達人」「言葉にする達人」ではないのです。

 

むしろ達人であればあるほど、言葉での説明は下手くそな傾向があります。

 

 

けれども人のこころというのは弱いもので、つい自分を甘やかす言葉を信じたくなるんですね。

 

「力を抜けばいいのかぁー」

 

「がんばらなくていいんだー」

 

「そのまんまでいいんだー」

 

と、甘い言葉の誘惑につられていきます。

 

というか「甘い方向」に解釈していくんですね。

 

 

その結果どうなるか。

 

もちろん現実は「甘い方向」にはいかず、どんどん厳しくなります。

 

厳しくなればなるほど、現実を見たくなくなるので、さらに「甘い解釈」を探していきます。 

 

そしてさらに現実は厳しくなり、「ドツボ」にハマることに…

 

 

 

からだという観点から言わせてもらえば、「力は抜いちゃダメ」なんです。

 

もっと言えば「肩の力を抜いて、ハラに力を込める」。

 

ただ力を込めるといっても、リキんではいけない。

 

 

ハラに力の焦点が集まると、自然と肩の力が「抜ける」

 

そう「抜く」んじゃなくて「抜ける」んです。

 

 

この感覚をマスターするには、ちょっとしたコツがいる。

 

これは、言葉だけじゃ伝えにくい。

 

 

だからこそ達人を「言葉」だけで理解しようとしないほうがいいんだよね。

 

つい自分勝手な解釈しちゃうからね。

 

 

その「言葉」の奥にあるものを「からだ」で掴む。

 

そういうものを感覚で掴んでいくことが大事だと思うな♪