どんなにオシャレでも、魂の震えることに出会わなければ満たされない。
オシャレって素敵なんだけど。
けれども、それが内側からあふれ出るものじゃないとしたら、それは虚しい。
誰かのマネのオシャレ、ファッション(流行)はスカスカだ。
どんなにオシャレなカフェにいっても、帰るときに、そこはかとなく虚しい感じがするのは
「カフェはお洒落だけど、別に私はオシャレじゃないな」
っていう現実回帰なんだと思う。
「ディズニーランドは夢の国だけど、あ、わたしプリンセスじゃないんだった」
みたいな。
世間がインスタ映えに飽きはじめたのも、ハラの底からのワクワク感がないからだと思う。
うわっ面の「人生たのしんでる感」「リア充アピール」「間接自慢」。
エゴとエゴのせめぎ合いに、まっとうな人は疲れてしまうよね。
ほんとのリア充ならウンコ写しとけばいい。
「生きることのリアル」といえばウンコとセックス。
そこをないことにして、「見栄え」だけを気にしても虚しいだけ。
「オシャレなライフスタイル」をアピールする人も、それに憧れる人も同じレベルでスカスカだ。
きっと内側から湧き出る情熱に触れたことがないんだろう。
今は、そういう時代なのだ。
「愉しいこと」といえば、はしゃぐことしか思いつかない。
内側からにじみ出る「静かな炎」を、どれだけの人が感じたことがあるだろうか。
ぼくは、そんな時代をはかなむわけじゃない。
そんな時代だからこそ、「ハラ生き道」の出番だと思っている。
原点回帰。
からだ至上主義。
才能発揮。
じぶんの「いのち」「存在」の尊厳を取り戻す。
他者との「つながり」重視。
ハラを満たして、「じぶんの中心」を生きる。
あなたは、じぶんの「魂が震えること」を知っていますか?