「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

笑顔作ってる人、こじらせ度MAX説。~素敵じゃないのよ笑顔は、はっはぁん~

ぼくの経験上、イチバン「こじらせ度」が高いのが

 

「やたらと礼儀正しい人」

「笑顔を作る人」

 

だ。

 

これは、難しいですよ。

 

なぜなら「自覚」がないからですね。

 

自覚がないどころか「笑顔を作る人」は、ムスッとしている人や不機嫌な人を見下しているフシさえある。

 

「わたしは笑顔を作る努力をしているのに、あの人は不機嫌を顔に出して…」

 

みたいな「笑顔マウンティング」をしていたりする。

 

しかも自分の内面だけで。

 

 

うまく言えないのだけれど、「作った笑顔」には、なんかモヤモヤを感じる。

 

それはきっと「何かを隠す笑顔」になっているからだと思うんだね。

 

 

からだ的には、ハラと顔の筋肉が連動していない。

 

うまいこと顔の筋肉を動かすと、不思議なことに横隔膜と連動する。

 

その「うまいこと」というのが、適切に説明できないのだけれど、なるべく「アホになったつもりで」笑顔を作ると、わりとハラと連動しやすい。

 

それが「素敵な笑顔」を作るとダメなのね。

 

顔だけになっちゃう。

 

そうすると、たぶん「おかしな笑顔」になっちゃうのよね。

 

そこにはね「恥を捨てる」必要があって。

 

たとえばウチの嫁などは「ガハハハ」「ゲラゲラ」という感じで笑うのだけれど、ぼくはそれがとても好きで。

 

けっして「いつもニコニコ」というわけではなく、ときにヤクザのように怒り、子どものように泣くけれども、それが自然なんだと思う。

 

せっかく「泣くための筋肉」も「怒るための筋肉」もあるんだから、ぜんぶ使えばいいんだよね。

 

「笑顔の筋肉」だけ使っていたら、そりゃ偏っておかしくなりますわな。

 

 

「笑顔を作る人」や「やたら礼儀正しい人」は、整体でもなかなか変化が出にくい。

 

なんかすごく全体が硬いんですな。

 

いろいろな刺激を無視してる感じ。マヒさせてる感じ。

 

笑顔じゃない自分をゆるせないのかなーと感じたりする。

 

 

だから今、つい感情的になっちゃってバリ怒ったり、泣いたり、落ち込んだりってことをしちゃう場合は安心してほしいの。

 

それはまだ感情が出せるだけ、全然マシです。

 

 

そして今

 

「あ、わたし笑顔作ってるこじらせ系だ!」

 

って思った人は、もっともっと自分の感情を大切にしてあげてほしいんだよね。

 

泣いてもいい。怒ってもいい。

 

その上での「笑ってもいい」なんだ。

 

「笑ってなきゃダメ」じゃないんだよ。

 

それで「誰かに見せる笑顔」じゃなくて、笑いたいから笑う。

 

ときには子どものように感情を表現する。

 

あらわにしなくとも十分に感じる。

 

そういうことをしていくなかで、さらにカラダもゆるんでくると思うな♪