ハラを開くと「不安」は「感謝」となり「切なさ」となり「ワクワク」になる。
ぼくらの生きるエネルギー源は、「愛」でも「喜び」でもない。
ぼくらのエネルギーの大元は、「不安」なんだ。
まず、不安ありき。
そこにエネルギーが発生する。
そのエネルギーを転換するのが、「ハラ」なんだ。
ハラが開かれ活性化しているとき、「不安や恐怖」は「感謝や切なさやワクワク」に変わる。
そう、ハラはエネルギー転換装置なんだ。
言いかえれば、ハラは「エネルギーろ過装置」。
雑で濁った「不安」というエネルギーから、「恐怖」の色を取り去り、透明なエネルギーのみを抽出する。
そのハラで「ろ過」されたエネルギーには、「色」がない。
「色」がないということは、「方向性」や「意味づけ」がないということ。
ぼくはこの「単なるエネルギー」が「愛」だと思う。
つまり、というには雑なまとめ方だけれども
「好き+嫌い=愛」という感じだと思っている。
「負債+資本=資産」みたいな感じかな。
マイナスとかプラスとか、ネガとかポジとかがない「ただのエネルギー」。
それを「愛」だと定義してみる。
で、それが「ハラ」に満ち足りている状態を「ハラ満た」と呼んでいます。
「ハラ満た」を保っていると不思議な感覚になってきます。
なんだか「ありがたやー」という気分になってくる。
「なにが?」とじぶん(エゴ)でも思うのだけれども「ありがたいわー」という気になってくる。
その状態で、誰かが目の前にくると「愛しいわー」と思う。
そこにどこか「切ないわー」という感じが伴っている。
けれども、そこはかとなく「ワクワク」している。
それは「モゾモゾ」にも似ているし「ゾワゾワ」にも似ている。
ハラの底がうごめく感じ。
これこそが、カラダの最大の喜びなのだと思う。
この「ハラの喜び」を感じるには、お金も地位も名誉も必要ない。
カラダひとつあればできる「無条件の喜び」だ。
これをハラ生き道では「究極の幸せ」と呼んでいる。