なぜ「よい姿勢にしよう」と気を付けてはいけないのか?
からだをラクにするには、「余計な意図」を減らしていくことが大事だと思っています。
「こうしよう」「こうしたい」「こうしなきゃ」
そういった思いを「余計な思い」と言います。
「余計な思い」が働くと、アタマが動き出して感性が鈍ります。
そうすると、どんどんカラダが重たくなっていくのです。
だからこそ「余計な意図」を減らして、アタマもカラダも「軽く」「あかるく」「空っぽに」していく必要があるのです。
たとえば「丹田を鍛えよう」とか「ハラに力をこめよう」というのは余計な意図。
ハラに力を込めようと思えばリキむだけです。
そうじゃなくて、丹田は「自然とそこに力の焦点が収まる位置」です。
姿勢は「よくするもの」じゃなくて、「よくなるもの」です。
痛みは「取るもの」じゃなくて「取れるもの」です。
すべて「自動的にそうなる」のです。
それが「からだのはたらき」が活かされるということです。
では、どうしたら「からだのはたらき」が十全になるのか。
「からだのはたらき」を最大限に活かすにはどうすればよいのでしょうか。
その答えが「観察」です。
それは「注意深く自分を観ること」と言えます。
「観る」というのが分かりにくければ「感じる」という表現がいいかな。
「いまの姿勢は、じぶんにとって気持ちいいかな?」
「いま、最高の呼吸をしているかな?」
「いま、どんな感情を感じているかな?」
などなど、「じぶん自身」を観てあげる。聴いてあげる。
それは「注意を向ける」ってことなんですが、そうすると何故かは分からないけれども、変化が起こってくる。
いろんな流れが「ベスト」の状態になってくる。
大仰な言い方をすれば「宇宙と調和」してくる。
そしたら姿勢は勝手によくなるし、痛みは勝手に取れるし、丹田に自然に力が集まってきます。
そして、そうなるけれども、別にそうならなくてもいいわけです。
丹田に力の入らないときもあるし、痛みが出ることもあるし、姿勢が悪い日もあります。
からだには「波」や「ゆらぎ」があるのが普通です。
「理想の状態」をずっと保つなんて面白くない。
「からだ」というのは、何かするために使うものですからね。
「たんなる健康体」なんて何も面白くない。
「健康体」を使って、何を為すか、です。
「健康体」が分かったら、次はストレスフルな状況に身を置いて、からだに負担をかける。
そして、またリラックス、デトックス、クリアリングする。
スッキリしたら、またストレスフルな環境に飛び込む。
この「リラックス」と「ストレス」のバランスが陰陽になるわけですね。
ぼくは、そのバランスが大事だと思っていますよん♪