「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

ぼくらは思った以上に傷ついてる~勇気を出して傷けばいい~

からだをゆるめることを進めていくと、どんどん感覚にも感情にも繊細になっていきます。

 

微細な「ゆらぎ」を感じるようになる。

 

そうすると、「思った以上に傷ついてる」ことに気が付くのです。

 

ちょっとしたLINEの返信、あの人がふと見せた視線、なにげない動作、Facebookでのコメントのニュアンス…

 

ほんの小さなこと。些事。仔細なこと。

 

そんな出来事に、ぼくらは思った以上に揺らいでいる。

 

「小さなこと」をよく感じるようになると、まるで弱くなったように感じます。

 

「ああ、こんなに傷ついてたんだ」

 

「意外にもショックだったんだな」

 

「とっても怖かったなぁ」

 

 

「こんなことくらい大したことない」って言い聞かせていたものが、どっとあふれ出てきたりします。

 

 

「そんなことくらいで、いちいち傷つくなよ」

 

ぼくらは、そう言われて育ちます。

 

「次があるさ」「気にすんなって」「元気出せよ」

 

たしかに励ます言葉はありがたいけれども、それは同時に「傷つくこと」への否定を含んでいたりします。

 

「強くあれ」という教育のなかで僕らは、なかなか「傷つく」という選択肢をゆるしてもらえなかったりします。

 

 

だからこそ、傷ついた自分に、充分にじぶんが共感・共鳴してあげるということが大事になってくると思うのです。

 

ハラ生き道というのは、「ハラを鍛えて動じない自分を創る道」ではありません。

 

むしろ「動じている自分を、充分にゆるしてあげる道」なのです。

 

それは「勇気を出して傷ついてみること」でもあるし、「落ち着いて落ち込んでみること」でもあります。

 

 

生まれたもった「傷つきやすさ」と「傷つきにくさ」があります。

 

そのどちらにも長所があって。

 

「傷つきにくい人」は強いけれども共感の能力には欠けることが多い。

 

「傷つきやすい人」は弱いけれども共感の能力に長ける。

 

どちらも、素晴らしい才能です。

 

そしてハラ生き道は、どちらかと言えば「傷つきやすい人」を対象にしています。

 

 

そんな人が「傷ついたじぶん」を受容していく。

 

「強くなくてよかったんだ」

 

「傷ついてもよかったんだ」

 

と、じぶんを受け入れていく。

 

そんな美しい物語を紡いでいきたいというのが、ぼくの思いです。

 

というわけで、からだをやわらげ、繊細になっていく方法をシェアしています