「じぶんを変えたい!」と発奮する人が、なかなか変われない理由。
なにかショックなことがあったり、傷ついたり、失敗したりすると、
「今度こそ、じぶんを変えたい!」
なんて発奮しがちですよね。
でも、そんなときって、すごく落とし穴にハマりやすくて。
たとえて言うなら、失恋直後にたいして興味ないけど、優しくされて好きになっちゃうみたいな、危うさがあるのです。
なので、もし今
「じぶんを変えたい!」
と意気込んでいるのなら、ぼくは
「まぁ、落ち着け」
と言いたいです。
気持ちは分かりますよ。
「こんな自分のままじゃイヤだ」
「もっと〇〇(みたい)になりたい」
「このままじゃダメなんだ!」
って思いますわな。
でも↑の考え方って、そもそもが「自己否定」じゃん?
だから、その思いからスタートしたら、またおんなじゴールにたどり着くわけ。
つまり「自己否定」というトラックのうえを走り続けることになる。
そのうえで、スピードをあげようが、誰かを抜かそうが、関係ない。
「自己否定」というスタートから「自己否定」というゴールにいたる。
大切なのは、そのトラックから「降りる」ということです。
じゃぁどうやって「降りる」かって、まずは
「じぶんを変えたい!」
っていう欲求が、そもそもブレた自分から出てきたものなんだと気づくことです。
「じぶんを変えたい!」という渇望は、ハラの欲求じゃない。
これ、「言い方の問題」なんだけどね。
「じぶんを変えたい!」はアタマの欲求。
「じぶん、変えちゃおっかなぁ♪」がハラの欲求。
まぁ、ハラの場合は欲求ですらないよね。ただの「意図」って感じ。
「じぶんを変えたい!」って
「空を飛びたい!」に似てるのよ。
もうはじめから到底無理。
なのに
「空が飛べない!」
「あの鳥は、自由に飛んでるのに!}
「なんで飛べないんだ!」
「やっぱり俺はダメなんだ…」
「心のブロックがあるから?」
「親との関係が解決してないから?」
「飛べないなら、生きる意味ないじゃん」
おいおい、考えすぎ!wwwww
そりゃ、そもそもの欲求がブレてますわ。
なんで欲求がブレるかって、からだが疲れてるんだよ。
疲れマラとかあるでしょ?
エネルギーないのに勃起したりして。
あとは胃がおかしいのに食欲旺盛だったりして。
眠たいのに、眠れなかったりして。
それと同じように「じぶんを変えたい!」っていうときは、からだが疲れてるの。
だから「憑かれた」ようなことを口走ってしまうんだよ。
だからこそ、まずは「落ち着け」なの。
ちょっと休憩しようよって。
からだが疲れてるときに、重要な決断をしないのはベタなセオリーだよね。
魔が差しちゃうからね。
だから、まずは休んで、止まって、立て直す。
そういうことが、とても大事だっちゃ。
それは「じぶんを変えたい!」と思うに至った傷を癒すってことなんだ。
で、傷が癒えてから、ゆっくり選ぶ。
それでも、ぜんぜん間に合うから。
だから「じぶんを変えたい!」って思ったときは「焦ってる」って思ったほうがいい。
そこに気づいたら、ふと立ち止まれるから。
「じぶんを変える」必要なんてないんだよ。
それは趣味の問題なの。
それよりも「じぶんに還る」ほうが、よっぽど大事で。
ハラ生き道っていうのは、そういうことを伝えていく道だよん