「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

ヒマは潰さずに「活かす」もの。~「暇つぶし」が本当に人生を潰してしまう~

からだの軸がブレてくると、気が落ち着かなくなる。

 

ハラに収まるべきエネルギーが暴れ出し、落ち着かなず、ソワソワする。

 

そのときの感じは

 

「何かしていないと気が済まない」

 

この時の「気が済む」は「気が澄む」と言いかえることができるだろう。

 

ハラ生き道で言えば、「クリアボディ」の状態。

 

つまり、クリアボディではなくなり、からだの軸がブレているとき、ぼくらは

 

「何かせずにはいられない症候群」

 

にかかってしまうのだ。

 

 

現代人はほとんど「何かをせずにはいられない症候群」と言っていいだろう。

 

朝起きてテレビ、通勤中にスマホ、仕事中にネット、家に帰ってスマホ…。

 

 

からだも脳も休まるヒマがない。

 

それは「ヒマ」を潰してしまっているからだ。

 

 

「あー、退屈だ」と刺激のある動画を探す。

 

そこで一時の快楽を得る。

 

けれども、そこで大事な「ヒマ」を消費してしまっているのだ。

 

 

年末年始、のんびりもしたし、仕事もしてみた。

 

そして色々からだのテンションなどを観察していくと、「ヒマつぶし」をすればするほど、からだがおかしくなることが分かった。

 

 

人のからだは、緊張と弛緩のバランスで出来ている。

 

仕事は緊張、休息は弛緩である。

 

 

けれども、休息時に「ヒマつぶし」をしてしまうと、ゆるむことができず回復ができない。

 

そうすると仕事の緊張、すなわち集中力が失われてしまう。

 

結果、仕事のクオリティが下がる、モチベーションが下がる、こなせる量が減る、とロクなことがない。

 

 

逆に休息すべきときにしっかりゆるむと、仕事のときにからだがしまってきて、非常に効率のよい仕事ぶりになる。

 

 

こないだも食を減らし、からだの集中力が高まった時などは朝2:30に目が覚めて、そこから4時間でA5で30枚くらいのレポートを作ってしまった。

 

じぶんでも驚くべき集中力だった。

 

 

それがどうだろう。

 

年始に食べ過ぎたら、すっかりからだがゆるんでしまい、時間があっても仕事ができない。

 

これは、なんとももったいない。

 

 

人間はざっくり「弛緩タイプ」と「緊張タイプ」に分かれると思う。

 

これまでは「緊張タイプ」の人が幅を利かせていたということで、昨今は「弛緩タイプ」の人がなにかしら主張をするのが流行だ。

 

そして、ぼくも例に習い「ゆるみ」を勧めるハラ生き道を創始した。

 

それは緊張しやすいぼくがバランスを取るためのものだ。

 

 

けれども本来的には「緊張(集中)と弛緩」は、ふたつでひとつなのだ。

 

これまでが緊張に偏っていたので弛緩がもてはやされているが、弛緩するばかりではバランスが崩れてしまう。

 

弛緩タイプには弛緩タイプのよさがあり、緊張タイプには緊張タイプのよさがある。

 

「やさしさ」や「思いやり」なら弛緩タイプのほうが得意だろうが、スマホもテレビも、このブログシステムも、つまり文明は緊張タイプの人が創っている。

 

ちなみに、ぼくがお会いした人で「ゆるみ」を説く人でも、緊張タイプの人が多かった。

 

 

閑話休題、「ヒマは潰さずに、ヒマを活かせ」という話に戻す。

 

このヒマを活かすにはどうすればいいかという話になるが、これは「何もしない」に尽きる。

 

脳が一時的な刺激に依存していると、「何もしない」のが苦しい。

 

ソワソワして、何か刺激を欲して、苦しくなる。

 

しかし、それをこらえて「何もしない」をしていると、色んなひらめきを得たり、からだの調整が行われたりする。

 

それは科学的にも証明されていて「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれいるそうだ。

 

 

知識や経験を詰め込んで、そのあとに「休む」ということ。

 

そのときに、脳は通常の20倍もの働きをしているそうだ。

 

そう言われたら「ヒマつぶし」をするのが怖くなるのではないだろうか。

 

ただし、この「デフォルト・モード・ネットワーク」、ずっとぼんやりしているだけでは働かないらしい。

 

あくまで、知識や経験を詰め込んで、しっかり働いたあとに「休む」ことで、情報を整理するとのこと。

 

つまり脳科学の世界でも「緊張と弛緩」の陰陽が大事だということらしい。

 

 

そんなわけで現在、「暇つぶし」に時間を費やしている人は注意したほうがいいかもしれない。

 

気が付けば死の直前。

 

じぶんの特性や才能を活かすことなく死んでいく。

 

「暇つぶし」に時間を費やすのは、そういうリスクを抱えるということだ。