「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「肩こりを治すにはどうすればいいですか?」という質問をしてはいけない理由。

誰かに質問するというのは、とても恐ろしい行為です。

 

というのはまず、質問のレベルによって、その人のセンスや頭のレベルがバレてしまう。

 

講演会などでも、へっぽこな質問をする人というのは必ずいるものだが、周りが「あー、この人ドンマイ」と思っている空気になっている。

 

気づいていないのは自分だけという、空恐ろしい状況。

 

 

「質問は具体的でなければならない」

 

というのは、ぼくのポリシーである。

 

抽象的な質問をする人は、アタマがお花畑であるか、じぶん勝手であるか、どうせアドバイスを聞いても実践する気のない人である。

 

つまり情報泥棒。

 

 

たとえば

 

「肩こりなんですが、どうすれば治りますか?」

 

という愚問がある。

 

 

こういうのを、突然メッセンジャーで送ってくる人がいる。

 

この質問の間違いというのは、色々あって、まずは

 

「××なんですが、どうすれば〇〇になりますか?」

 

という、あいまいな質問というのは、全部NGなのです。

 

 

「貧乏なんですが、どうすればお金持ちになれますか?」

 

「独身アラサーなんですが、どうすれば結婚できますか?」

 

「デブなんですが、どうすればヤセられますか?」

 

「整体師なんですが、どうしたらヘルニアを治せますか?」

 

 

答えは一つ。

 

知らんがな。

 

 

これらの質問は、まったく「見えていない」人がするものなので、無視するしかない。

 

 

それが最大の優しさだと思う。

 

その人が、己の愚かさに気づくまで待つしかない。

 

 

そして、その愚問をプロに相談すること。これがさらなる愚かさだ。

 

つまり情報は無料で、「じぶんは教えてもらう権利がある」となぜか考える人がいる。

 

こういう人は、ほんとうに自己中心的でお話しにならない。

 

 

そう、「情報は有料」だし、「質問は具体的でなければならない」のです。

 

 

「肩こりなんですが、どうしたら治りますか?」

 

この質問をメッセンジャーで送りつけてくるのではなく、ぼくの整体院に来て聞くのはよいのです。

 

そうしたら、ぼくはまず、その人の状況を細かく聞くでしょう。

 

「肩こりといっても色々ありまして、どの辺が、いつ、どんなふうに凝りますか?」

 

「いつからですか?」

 

「ご職業は?」

 

「これまでに、どんな治療や施術を受けてきましたか?」

 

「睡眠、食事の状況はいかがですか?」

 

「首をすこし動かしてみてください、痛みなどはありますか?」

 

「ほかに肩や腕などにご症状はありますか?」

 

「交通事故に合われたことはありますか?」

 

などなど、ぱっと思いつくだけでも、気になることはたくさんあります。

 

 

つまり、もしメールなどで質問するなら、このあたりを全部書く必要があるわけです。

 

 

プロであればあるほど、適当な回答はできません。

 

「肩こりでしたら、この体操で一発です」

 

なんていうのは欺瞞です。ありえません。

 

 

そういう回答を求めて質問する人もレベルが低いと思うし、そういう回答をする人はプロじゃないと、ぼくは思う。

 

 

なんなら、そういう質問をしてしまう愚かさ、つまり自分勝手さが「肩こり」を引き起こしていると、ぼくは考える。

 

 

 

だからこそ、セルフケアだって、そう簡単には教えられないのです。

 

以前、整体院に、

 

「本に【腰痛を治す体操】と書いてあったのでやってみたら痛くなりました」

 

という人がいたけれども、どう考えてもその体操をやってはいけない状態でした。

 

だから「腰痛を治す体操」なんて名称で出版するのは、罪だと思いますね。

 

合う合わないがあるんだから。

 

 

だから質問というのは、いろいろ実践してみてからするものなのです。

 

そして「全体に対する質問」じゃなく、「具体的な質問」をする。

 

 

「〇〇の体操をやってみたんですが、足首の構えが分かりません。ここは反らせてよいのでしょうか?」

 

こういうのが、「ステキな質問」です。

 

 

たとえば、これを実践したうえでの具体的な質問であればお答えしますよ