「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「めまい」によって救われている ~弱い臓器なんてない~

最近また整体施術に興味が湧いてきまして、ちょいちょい施術をしております。

 

ハラ生きメソッドを続けているので、以前よりも感覚が繊細になっています。

 

 

さて先日、東京で施術したのですが、クライアントさんが

 

「後ろを振り向いたり、そのままクルっと回ると気持ち悪くて」

 

とおっしゃっていました。

 

「三半規管が弱いのかも…」

 

と。

 

 

それで結論から言うと、施術をして、その後その方はヒーリングセミナーにも参加されたのですが、セミナーが終わるころには、くるくると3回転くらいは楽勝でできるようになっていました。

 

 

何が言いたいかって、「三半規管は弱くなかった」のです。

 

ただすこし自律神経が疲れていただけなのです。

 

 

それで、そこから考えていて、「身体はいつでもベストコンディション」ということを勘案していきますと、

 

「弱い臓器なんてない」

 

という新しいフレーズが生まれてきました。

 

 

たとえば僕は「じぶんの呼吸器は、あまり強くない」と思っていたんですね。

 

けれども、そうじゃなくて

 

 

 「肺が、全体の不調を一身に受け止めてくれている」

 

のです。

 

 

身体に「不調」がある方は、ぜひこの考えを導入してみてください。

 

「弱いのではなく、その器官が一生懸命に働いているだけ」と。

 

 

たとえば「膝の痛み」を抱える方は、「ひざが弱い」わけじゃない。

 

「ひざが、全体のゆがみやねじれを、一身に支えてくれている」のです。

 

 

「歯並びが悪い」んじゃなくて、「頭蓋のズレを一生懸命に解放しようとしている」、のです。

 

 

めまいが出るから三半規管が弱いんじゃないんです。

 

「めまい」を出すことによって、「一生懸命に頭部ぜんたいを修正している」のです。

 

 

そして、この考えは会社や学校、家庭にも当てはめることができます。

 

 

たとえば「うつ」の人がいる。

 

その人は、「弱い人」なのではなくて、「そのコミュニティのブレとかゆがみを一身に背負ってくれている」のです。

 

 

たとえばグループのなかに体調を崩しやすい人がいるとすれば、その人がエネルギーの調整役になっているわけです。

 

 

そういうふうに構造を見ていく。

 

身体も、コミュニティも。

 

 

そうすると、「不要なものなど、どこにもない」ことが分かる。

 

そして「すべてのものが役割を担っていて」、「必要なことだけが起こっていて」、だからこそ、「ただありがたくて」、「何も変えなくていい」わけです。

 

この「何も変えなくていい。そのままで素晴らしい」というのがハラ生き道の真髄です。

 

 

だからこそ、もう自分のカラダを責めなくていい。

 

「〇〇が弱くて…」

 

なんて、カラダをいじめなくていい。

 

 

身体には不調などありません。

 

あるのは「じぶん自身の意識が抑圧されている」だけです。

 

身体は、その抑圧をただそのまま表現しているだけです。

 

 

つまり「身体の不調」とは、「もっと自分をゆるしてもいいよ」というサインに他ならないのです。

 

 

ハラ生き道では、そういう見方をしています