「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

たとえあなたが心を開かなくとも、わたしはあなたに心を開こう。

すこし疲れていたのかな。

 

11月の半ばくらいから、なんとなく体調がすぐれなくて。

 

咳を出してみたり、胃腸を壊してみたり、発疹を出してみたり。

 

いろいろ浄化が起こって。

 

それでちょうど昨日、満月の日に、「ハラ・ヒーリング」のセミナーを開催しました。

 

そこで、みなさんにお伝えすることが、まさに自分に当てはまっていて。

 

 

「ちゃんと軸を立てて、相手の軸につなげて話す」

 

 

これはつまり、ハラを開き、ムネを開き、目の前の人と対面すること。

 

 

これが大切だと何か月か前に気づいたのに、すっかり忘れていた。

 

いま思えば最近のぼくは閉じていて、何がしたいかわからなくて、どうしたいかわからなくて、もがいていた。

 

 

その原因は、ハラもムネも閉じてしまっていたからなんだね。

 

そして、その原因っていうのが、たぶん「腸の疲れ」だと思う。

 

 

春夏に、ハラワタの声を聞かずに、荒っぽく食べたものが、冬になって暴れ出した。

 

そんな気がした。

 

 

そして、すこし食を減らして腸を回復させていくと同時に、「軸ハラのコミュニケーション」を思い出していった。

 

 

すると以前やっていた、

「店員さんに、心からありがとうを伝える」とか

「会う人を喜ばせる」

という課題を思い出した。

 

 

久しぶりにやってみようとすると、どこかぎこちない。

 

恥ずかしい。

 

怖い。

 

 

「ああ、こんなに閉じていたんだ」と、驚く。

 

 

しかし、徐々に慣らしていくと、その恥ずかしさのなかにある「心地よさ」に気が付いてくる。

 

 

それは人と「つながるというエロさ」なのだ。

 

 

そうエロスとは「つながる」という怖さと快感なのだと思う。

 

じぶんが消えてしまう恐怖と、「ひとりじゃない」という安堵。

 

 

それを同時に感じるのがエロスなんだと思っていて。

 

 

だからぼくはセミナーでは、

 

「合気道も整体もセックスも同じです」

 

といつも言う。

 

 

「つながる」という芸術。

 

すると、不思議なことが起こる。

 

たとえば、こんな。

 

 

これだけで、相手は愉しくて気持ちよくて、かつ身体が調整される。

 

 

それが「つながる」ということの効能だ。

 

 

ぼくは、そういうことを説きながら、つい自分が忘れてしまっていた。

 

それを反省していたら、東京からの帰り道、ふとこんな言葉が浮かんだ。

 

 

「たとえあなたが心を開かなくとも、ぼくはあなたに心を開こう」

 

と。

 

 

そう、「相手がどう」ということを考えない。

 

ただこちらが「開かれる」という快感を感じるだけ。

 

 

相手はそれにまかせて開かれたくなれば開けばいいし、開きたくないなら開かなければいい。

 

それはどっちでもいい。

 

 

ただぼく自身は、開き続ける。

 

これはとっても怖いこと。

 

開いて生きるとは、無防備で生きること。

 

 

そういうことを、またやっていこうかなと思う師走なのでした。