アイタタ!な勘違いが大事というお話し。~「観る」ということ~
「認める」というのは、「観とどめる」ということだ。
そのように観ると、そのように留まる。
これは量子力学の
「観ると同時に”波”が”粒”になる」
というやつと同じなんだと思う。
アタマの世界では「ある」が先で、「観る」が後。
でもハラの世界では「観る」が先で、「ある」が後。
野口晴哉も、著書のなかで「認め方の角度を変える」という言い方をよくしている。
たとえば喀血した人が「喀血したから死ぬんじゃないか」と不安になっているところに、
「要らない血を出す力があるんだから健康だ」
と説く。
すると、その人のなかに猛然と力が湧いてくる。
ただ、これは言語的に転換するだけでなく、相手の中に入り込み、相手のなかに「風を吹かせる」必要がある。
そして、こちらが100%信じていること。
つまりハラ落ちしているということ。
ハラ落ちしていることをハラから伝えることができれば、相手は自然と「納得」してしまう。
けれどもアタマに説得しようとすると対立が起こり、相手のなかに風が吹かない。
セッションの失敗である。
そうならないためには、こちらのカラダがゆるんでいる必要がある。
ハラ生き道の言葉を使えば「クリアボディ」である必要がある。
クリアボディのときは、意識がハラに落ちている。
カンタンに言えば「落ち着いている」。
それは「ぼくらの本体」が、いるべき場所にいるという感覚。
その状態のとき、ぼくらは自由に「観る」ことができる。
つまり「観方」を自由に選択できる。
じぶんを「スゴイ人」と見てもいいし、クズ野郎と観てもいい。
あの人を「ダメ人間」と思ってもいいし、「最高な人」と思ってもいい。
じぶんを年収3000万と観てもいいし、300万円と観てもいい。
じぶんはモテるんだ!と観てもいいし、まったくモテないと観てもいい。
けっきょくどの状態になっても、なにがしかの経験をし、なにがしかの感情を感じるのだから、「どの状態を選んでもいい」のだ。
この状態においては「ウソ」も「ホントウ」もない。
なぜなら「観たようになる」から。
「現状」がどうだって構わない。
まったくモテていなくても「俺はモテるんだ!」と勘違いしていい。
愛されていなくても「愛されてる!」と勘違いしていい。
それは一般に「オメデタイ勘違い」と嘲笑されている。
けれどもその「オメデタイ勘違い」は、続けていると次第に「勘違い」じゃなくなる。
海に落ちた松下幸之助は「ああ、助かった、運がいい」と言ったことで有名だが、海に落ちている時点で、ぜんぜん運なんてよくないよwwwww
でも、「運がよかった」と捉えた。
そうしたら何が起こっても「運のいい人」なんです。
松下電器(現パナソニック)では「運のいい人」を採用していたというが、それは「観方が上手な人」を探していたと言ってもいいだろう。
だから「観方」というのは「都合がよければよいほどいい」のです。
「じぶん勝手」で「ご都合主義」で「アイタタなオメデタイ勘違い」
これが最強です。
とはいえ
「そんな都合よく考えられないよ」
「わたしはマイナス思考、ネガティブ思考だから」
「もっとプラスにポジティブに考えたいのにできない!」
って人もいると思うんですね。
そんなときに、ハラ生きメソッドでカラダをゆるめるわけです。
カラダをゆるめると、自然とハラに意識が落ち、そこではじめて「自由に観る」ということができるようになります。
今まで考え方・捉え方を変えようと思っても変えられなかったのは
「変えたい!」
とリキんでいたからなんです。
だから、ふっと力を抜いて、執着を手放してしまう。
すると、こういうことが起こります。
ゆるむということは、「現実を受け入れる」ということです。
そして、現実は「受け入れ」てからはじめて変えることができるものなのです。
ぜひハラ生きメソッドでカラダをゆるめることで現実を受け止め、じぶんの都合よく現実を書き換えてしまってくださいね
実際に体感したい人はこちら。