「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

そうだ、野望を捨てよう。

こないだ、家の周りを散歩していたら、ふとひらめきました。

 

「そうだ、野望を捨てよう」

 

と。

 

 

 

 

どこか僕には野心や野望のようなものがありました。

 

それは

 

「全国的に活躍する」とか

 

「日本中を飛び回る」とか

 

「大きな組織をつくる」とか

 

なにかそういう分かりやすい「成功のカタチ」を求めていたのかもしれない。

 

 

でもそれは、「このままの自分じゃダメだ」っていう前提のもとに、反射的に生まれてきた欲望でした。

 

 

いつのまにか

 

「あれ、俺、ほんとうは何が欲しかったんだっけ?」

 

って、自分を見失っていました。

 

 

 

それが、川のほとりを散歩しながら秋の風に吹かれていたら、

 

「ああ、もう欲しいものはぜんぶ手に入ってるんだ」

 

って思ったのです。

 

 

それは

 

「家族」

 

でした。

 

 

「マイホームパパになんか絶対になりたくない」

 

と突っ張っていたぼくが、欲しかったもの。

 

 

それは

 

「安らぎ」

 

だったのです。

 

 

そして、「もっと全国的に活躍」しても「日本中を飛び回っ」ても、「大きな組織を作っ」ても、

 

けっきょくは、ここに帰ってくるのだろうと直感しました。

 

であれば、もう何も求めるものはない。

 

野望なんて持たなくていいんだと、気が付いたのです。

 

 

これまでぼくは、心のどこかで

 

「男なら、デッカイ仕事にチャレンジしないといけない」

 

「大きな夢や目標を持たねばいけない」

 

「地球や日本や世界を救う活動が、いちばん素晴らしい仕事」

 

と思っていました。

 

 

で、そこに到達するためのエンジンとして

 

「野望」

 

が必要だったのです。

 

 

 

でも、「求めるものがなくなった」ぼくには、そういうデッカイ欲求はなくて。

 

家族とテーブルを囲んで食べるごはんが、何よりの幸せだと気が付いてしまったのです。

 

 

ただ、ぼくはこうやって文章を書くのが好きで。

 

セミナーをしたりセッションをしたりするのも好きで。

 

 

だから、それはぼくの幸せのために続けます。

 

あと今いらっしゃるクライアントさんの喜びのために、ぼくができることで貢献したい。

 

その気持ちは変わらない。

 

 

でも、

 

「今後、もっと大きく」とか

 

「でっかく」とか

 

「もっともっと」

 

というふうに仕事をするのはやめにしようと思います。

 

 

ただただ、今、目の前にあることに集中して。

 

その結果がどう膨らむかは分かりません。

 

 

淡々とやっていたら、いろいろ呼ばれて大きな規模になるかもしれないし、今のままの規模かもしれない。

 

 

でもそれはどっちでもよくて。

 

 

なぜなら、僕の欲しいものは、もうすでに「この手の中にある」から。

 

 

そういうことで、野望を捨ててみました。

 

 

「何も変えなくていい」

 

が、またひとつ深まった気がして、どこか嬉しい秋なのでした。