「本音」で生きないと身体に異変が起こる理由。
本音で生きる。
言うのはカンタン。
でも実際には、すこぶる難しい。
まず、本音で生きるために、「本音に気づく」必要がある。
けれども、ほとんどの人が「本音」に気づかない。
それは「気づきたくないから」だ。
本音に気づいたら大変だ。
勇気出さなきゃいけいけなくなる。
生活が激変するかもしれない。
不安定な毎日になるかもしれない。
だから、そんな大変な思いをするくらいなら、建前で生きておいたほうが楽だとエゴは考える。
すると、どんどん「本音」は、奥に追いやられ、フタを閉めて、ときにはカギをかけて厳重にしまわれる。
それで一件落着かというと、そうは問屋がおろさない。
というのは、人間ウソをつくと、重心や「からだの軸」がブレる仕組みになっている。
だから、いつでも建前で生きている人は、からだの動きがぎこちないし、固まっていることが多い。
逆に本音で生き始めると、重心が定まり、笑顔も振る舞いも自然体に、つまり「ふつう」になっていく。
「すごい人」ほど、「会ってみると普通」なのは、こういう理由がある。
ウソで生きる人は、からだの軸がブレるので、カラダは必死にそれを修正しようと、カラダを固める。
それが、いわゆる「こり」や「はり」だ。
それが蓄積すれば「疲労」になり、もっと溜まれば、病気になってくる。
だからこそ、早いうちに本音に気づいたほうがいい。
本音に気づくには、「カラダの違和感」を大事にする。
ウソをつけば、かならず重心がブレる。
それを修正するための、小さな緊張に、いち早く気づくこと。
そしたら、本音に気づきやすくなる。
本音は、決して特別なものじゃない。
本音は、ハラの奥にいつでも響いていて、ぼくらはそれに「薄々気づいている」。
だからセッションで本音に気づいた人は、
「ああ、やっぱりですか…」
という表現をする。
そう、もうすでに自分で気づいているのだ。
それをセッションで確認にきているだけ。
さあ、ここまで読んだら、じぶんの本音に気づきそうでドキッとしませんか?
あなたの本音、もうそこまで出てきてますよ…