全部、僕だった。~邪気など存在しない~
たとえば、この世界が「たったひとつのエネルギー」からできているとして。
たとえば、そのエネルギーに「根源の気」という意味で「元気」と名付けるとして。
これまでは、
「元気を取り入れる」とか
「元気を通す」とか
「元気になる」
ということを考えていた。
でも、違ったんだ。
ぼくが、「元気」だったんだ。
ぼくは「元気」でできていて。
あなたも「元気」でできていて。
この宇宙も地球も、ぜーんぶ「元気」で出来ていて。
だから「邪気」というものも「元気」でできている。
つまり、あの世もこの世も、ぜーーーんぶ「元気」の自作自演のファンタジーで。
その中でも最高傑作が「人間」で。
最も「不調和で、不自然な存在」が人間で。
だからこそ、「人間」の価値ってのは「不調和」にこそある、とも言えるわけなんだね。
「エゴ」は「不調和である人間」を忌み嫌ったらするけどね。
ぜーーーんぶ元気、なんだから、「元気じゃないものに見えるもの」があったら、なんだか興味深いじゃん?
それを体現しているのが「人間」」なわけ。
だから今「地球が汚れている」のも「危機を迎えている」のも、価値のあることで。
つまり否定すべきものでもなくて。
だからもちろん、今あなたが問題を抱えているのも、素晴らしいことで。
ぜーーんぶ自作自演のファンタジーのなかで「ちゃんと問題や不調和が起こっているように見える」のは素晴らしいことなんです。
ただ「人間視点」のうちは問題は苦しいし解決すべきものでこそあれ、歓迎すべきものとは思えないよね。
「この苦しい状況から脱したい!」
って思うよね。
「苦しいからこそ学びがある」
って捉え方もあるけど、それは「人間視点」なんだよね。
そこから「ハラ視点」に移動するわけ。
そしたらさ、「全部、僕だった」わけだから、「苦しみ」という幻想こそが面白いという発想になってくる。
「と言われても、納得いきません!」
というあなた。
それは、からだの「詰まり」や、「思い込み」がそうさせているの。
だから、ーこれは人間視点だけれどもー クリアリングしていくと自然とハラ視点にシフトしていくよ♪
それがハラ生き道です(^^)/