なぜ、「ワクワク」に従うとうまくいかないのか。~ワクワクを浄化せよ~
今回のテーマは
「なぜ、ワクワクに従うとうまくいかないのか」
なんだけど。
これは、ひとりひとり「ワクワク」のことばの定義が違うからなんだよね。
「ワクワク」って言っても、いろいろあるんだよ。
それが一緒くたにされてるから、「ワクワク」にしたがっても、なんだか調子でない場合があるわけ。
ハラ生きではね、「ハラ」生きというくらいだから、「ハラのよろこび」を重視するんだけど、
その感覚でいうと「ワクワク」っていうのはシックリこない。
どちらかというと「ジワジワ」に近い。
だから日本人の感覚で「ワクワク」っていうと、けっこう勘違いされやすいんじゃないかなー
「ワクワク」で仕事してるけど、家族とうまくいってない人。
そういう人って多いけど、SNSなんかで見るとキラキラしてたりして、「成功」「活躍」に見えたりするよね。
でも本人は悩んでる。
そういうのって「ワクワク」が多いんじゃないかな。
おぜっきーの場合もそうで、「ワクワク」しながら仕事するほど、どんどん家族との距離が開いていったよ。
「仕事はたのしい」
けれど
「家族は面倒くさい。もっと言えば邪魔」
そういうふうに感じちゃうときって、「ワクワク」仕事をしてたと思う。
でも、それじゃなんか違うと思って探した結果「ジワジワ」という「ハラの喜び」を見つけたわけ。
ほんで、これなら「仕事」も「家族」もこなせる!って嬉しくなったよね。
ぶっちゃけ、「ワクワク」が通用するのは、独身のとき、もしくは子どもが生まれる前までですわ。
おれの体感覚では。
そーじゃない人もいるかもだけど。
誰か他人と共同生活してるんなら、おれは「ジワジワ」をオススメするよ。
んで、なんで「ワクワク」が頼りにならないか、「ワクワク」をナビゲーターにするとなんで道を誤るのかって話をするね。
たとえばよ、あくまでたとえばの話なんだけど、
おぜっきーが妻とデート中に、目の前をミニスカートのおねえさんが歩いてて、強い風が吹いたとするじゃん。
そしたら、おぜっきーは「おお、見えそう!」なんて「ワクワク」しちゃうよね。
でも、それに奥さんが気が付いたら、そりゃ不機嫌になるよね。
っていうか幻滅するよね。
なんならデートをやめて帰っちゃうよね。
これってすごく「不調和」だと思うんだよ。
で、この不調和の原因は「ワクワクにしたがった」ことなの。
じゃあ、ハラ生き的にはどうすればよかったかというと、メソッドを使って
「ワクワクを浄化・クリアリング」
することなんだよね。
で、心身を「フラット」な状態にしちゃう。
そうしたらさ、
「よくよく考えたら、おねえさんもパンツ見られたら不快だよな」
ってことを思い出すわけ。
かつ「ワクワク」を浄化したら、
「そんなことより、大好きな妻とデートできて嬉しいな」
っていう「ジワジワ」が湧いてくるじゃん?
そしたら俺も嬉しいし、妻もそんな気分のダンナといたほうが愉しいし、調和するじゃん?
これが「ワクワク」よりも「ジワジワ」を大切にしたい理由なんだ。
あと、他の例でいうとね、「ワクワク」のつもりが、「ただの野望」っていう場合も多くて、
「これがうまくいけばお金が入りそう!」
「〇〇になったら、誰々に認められそう!」
「すごい事業になりそう!」
みたいなやつ?
こういうの、ぜんぜん「ハラのよろこび」じゃないから。
ぜんぶ条件付きのエゴの欲望でしょ?
こういう「ワクワク」にしたがえば従うほど、パートナーとか家族は置いてけぼりにされたり、邪魔もの扱いされたり、「駒」みたいに扱われたりするよね。
で、その事業に「社会的役割」とか「社会貢献」の意味があればあるほど、家族として否定しづらいしね。
「おれは、地域の人の腰痛をなくすという使命のために自分を賭けてるんだ!」
みたいな。
もちろん、以前のおれのことだよねww
ほんと開業当初なんかは、
「患者さん・クライアントさんのために、お前たち家族が犠牲になるのは当たり前だ」
って思ってたんだよ。
いま思うとバカみたいだけど。
それだけ自己否定にあえいでいたんだなー
クライアントさんの救世主になることで、じぶんの否定感をごかまそうとしていたってわけ。
そういうときって、実は「ワクワク」が出てきやすいんだよなー
「誰かのために戦ってるじぶん」に酔ってみたり。
中二病なおっとらんのじゃwww
ってわけで、「ワクワク」ってのは、あんがい頼りにならないどころか害悪になる場合もあるよって話。
「ワクワク」でうまくいくならいいんだけどね、おれはそうならなかったから、模索した結果
「ジワジワ」
にたどり着いたってわけ。
参考になれば幸いだよん(^^)/