「愉しい」を探そうとしてしまうと、ドツボにハマってしまう。
「たのしくやる」
「たのしんで仕事する」
「たのしむ」
そんな意味が、どうにも分からない。
分からないけど、周りがそう言っているから、じぶんも「愉しい」を探さなきゃ、と焦る。
そんな悩みをよく聞きます。
しかし実は「たのしい」を探すというのは、ドツボにハマる可能性が高いのです。
なぜなら「たのしい」は探すものではなく、結果として「自然と感じる」ものだからです。
「たのしい」の語源は「手伸し(たのし)」。
手足を四方に伸ばしているイメージです。
これは、言い換えると「思い切り」ということです。
周り気にしながら、おそるおそる手足を伸ばしてみたところで、何も愉しくない。
やはり本質的な愉しさを体感するなら「思い切り」が必要なのです。
そしてこの「思い切り」というのは「一生懸命」と言い換えることができます。
最近は、この「一生懸命」というのが、かなりの問題を解決すると感じています。
基本的に「仕事が愉しくない」のは、一生懸命じゃないからです。
どこかで体力温存している。
力を出し惜しみしている。
やり切っていない。
そうことが積み重なると、からだに「カス」がたまってきます。
カスがたまった状態で世界を見ると、世界にカスがたまっているように見えます。
サングラスをかけると、世界が暗く見えるのと一緒です。
で、悩みの深い人というのは、そのサングラスをかけたまま、つまりからだにカスの詰まった状態で「たのしい」ことを探しているのです。
しかし、その状態では「たのしいこと」など見つかるはずがないのです。
やるべきことは、サングラスをかけたままで光を探すことではなく、サングラスを外すことなのです。
それはハラ生き道でいうと、「からだをクリアにする」ということです。
からだがクリアになれば、世界がクリアに見えます。
じゃぁ、そうやって「からだをクリア」にするのか。
それが、毎日、一生懸命に体力を使い切るということです。
「がんばる」のではなく、「だしきる」のです。
子供のころ、おにごっこで使っていた、あの筋肉を使うことです。
これが「がんばる」状態で、体力を使い切ると病気になったりしてしまうのです。
「がんばる」のはアウターマッスルを部分的に、局所的にリキませること。
「だしきる」はセンターマッスルを全体的に、効率的に稼働させること。
どんな職場であろうと「出し切る」か「出し切らないか」は、じぶんで決めることができます。
「出し惜しみする」「どうせ出しても無駄だ」と決めるのは、いつも自分です。
だから他人や環境に関わらず、「出し切る」。
不満があるなら、伝える。
嫌なら辞める。
超シンプルです。
そうやって一生懸命やっていると「愉しい」の意味がわかってきます。
本質的な「愉しさ」というのは、かならず「苦しみ」を含んでいます。
(エゴの)楽しさ+(エゴの)苦しさ=(本質的ハラ的な)愉しさ
です。
迷いの深みにハマる方は「(エゴの)楽しさ」を探しています。
そこから抜け出すには、苦しさに向かい合い、「一生懸命」やり、力を出し切ることです。
そして「からだをクリアにすること」です。
そうすれば、どこを見ても世界が愉しくなっています。
からだをクリアにする方法は、こちらで公開しています。