「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

愛されることは、いつまでたっても怖いんだなァ。~「究極の幸せ」とは~

愛されることに、終わりはないんだ。

 

どこまでいっても愛されることは恐ろしい。

 

「じぶん全開」で受け入れてもらえる嬉しさと、その怖さ。

 

泣きそうなくらい怖くて、泣きそうなくらいありがたい。

 

それが「愛される」ってことなんだ。

 

 

 

今年1月から開講されている、ハラ生き道6か月コース「ハラ塾」には、最高のメンバーが集まっています。

日曜コース

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月曜コース

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5月期も、非常に有意義な時間でした。

 

 

みんなが笑いあう姿を見ながら、しみじみと幸せを感じました。

 

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それから、同時に恐ろしさも感じた。

 

「こんなに幸せでいいのかな?」

 

「こんなに受け入れられていいのかな?」

 

「こんなに愛されていいのかな?」

 

 

って。

 

 

それは、ぼくがずっと求めてきたものだったんだと思う。

 

ハートを開くということが分からず、ハート閉じた状態が、ぼくの「ふつう」だった。

 

「クール」だと評されることが多かったし、じぶんでも冷徹だなと思うことが多かった。

 

 

 

それが、妻に出会ったおかげで、徐々にハートを開くということが分かってきた。

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完璧ではないにせよ、一緒にいるなかで、「能力」や「できること」ではない、「存在の価値」に気づくようになっていた。

 

 

 

それでも、「対多数」というのは、どうしても苦手で、じぶんが閉じてしまう。

 

どこか一線を引いてしまう。

 

透明な壁を作ってしまう。

 

 

そういうクセは、なくなっていなかった。

 

どのグループに属しても、なんだか苦しくて、すぐにグループを外れてしまう。

 

ときにそのグループを、自分の正当性のために批判しながら。

 

 

 

それは、ぼくが「すごい人」でありたかったし、「特別な存在」でありたかったから。

 

「お前らとは違う」というプライドが高すぎて、溶け込むことができなかったのだ。

 

だから同時に「愛されている」という感じも得られなかったし、それどころかグループのなかにいても「独り」という感じになりやすかった。

 

 

 

それが、今回ハラ塾では「愛されてる」ということを充分に体感してしまった。

 

こんなに自分らしくあって、こんなに愉しく表現して、ここまで愛されるなんて、なんて嬉しいんだろうと、幸せをかみしめた。

 

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もちろん「塾長」という特別な立場だからプライドが保たれているのかもしれない。

 

それでも「愛されてる」と感じたのは、実は「disられた」からなんだ。

 

 

 

おぜっきーね、話してる最中に考え込むと「白目」になるのよwww

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今回、それをイジられたのよww

 

ある塾生さんは

 

「おぜっきーの白目は、ハラ生きメソッドだと思ってた」

 

とかムチャクチャ言ってるしwwww

 

 

いや、俺それネタでやってないし、マジメに考えてるし、イジっちゃダメなやつだからwwww

 

 

 

 

なんて言いながら、どこか嬉しかったんだよね。

 

それは、ぼくが「ハリボテのカリスマ」に陥らないで「ふつうの人」でいられている証なんだと感じたから。

 

 

んでもって「すごい人」じゃないのに、いや「すごい人」じゃないから愛されるんだーって再確認できたんだよね。

 

 

それがとっても嬉しくってね。

 

みんなに笑われて、場がなごんで、そこになじんでいく。

 

 

そのときぼくは正直、

 

「おわ~~~!!こえ~~!!幸せすぎる~~~!!」

 

って感じたよ。

 

 

で、この「怖さ」こそがハラの幸せなの。

 

「愛されて嬉しい~」は、アタマの喜びなの。

 

 

つまり、ハラもアタマも両方喜んでる状態なんだよ。

 

これをハラ生き道では「究極の幸せ」と呼びます。

 

 

 

それで、ここに至るには、

 

「勇気をもって自分を表現すること」

 

「すごい人・特別な人を目指さず、ふつうに徹すること」

 

「認められることよりも、認めること」

 

なんかが大切になってくるんだよね。

 

 

それからもっと大事なのは「笑い」。

 

 

これが、ほぼすべてを解決する。

 

 

ハラ塾には、その要素が全部入ってるんだよね。

 

だから、みんなどんどん変化してくる。

 

じぶんでは気づきにくくても、他人から観たら変わっていたり。

 

はっきりと心が楽になったり。

 

5kgもやせてみたり。

 

歯みがきのときに、歯ぐきから血が出なくなったり(笑)

 

ワサビが食べられるようになったり(笑)

 

見た目はこんな感じで変わったり。

 

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ぼくも、この空気のなかで、さらに「愛される」ということを実感できたんだよね。

 

 

だから塾生さんには、ほんとうに感謝しているんです。

 

ちなみに、こういう感じの塾です。

 

 

 

今ね、愛されることが怖い人って多いと思うんだけど、それはみんなそうなんだよ。

 

そもそも、「愛されることは怖いこと」なの。

 

「幸せになるのも怖いこと」なの。

 

さらに言えば「活躍すること」も、「自分らしく輝くこと」も、ぜーーーんぶ怖いことなんだよ。

 

それはね、「じぶんが開く」ことで受け取ることができるようになるの。 

 

 

でも、それって1人で取り組むのはとっても難しい。

 

 

モチベーション続かないし、道を誤るし、そもそも「つながる」「ひらく」ってのを「1人でやる」ってのが矛盾してるんだよ。

 

 

だからおれは、みんなで手をつないで、その怖さに向かい合っていきたいと思ってるんだよ。

 

じぶんが開けば、孤独感も、自己否定も、自信のなさも、全部どっかいってしまう。

 

「そんなんどうでもいいや」ってな感じで、じぶんを愉しむことができるようになる。

 

おれはさ、そんな人が増えたらいいなって心から思っているよ。

 


あなたも、ハラ塾で「じぶんを開く」ってことを体感してみませんか?