「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

その人は悪い人じゃない。ただ「怖がっている」だけなんだ。

こちらの記事が、すごく反響がありました。

 

center-muscle.hateblo.jp

 

 

それをきっかけに、じぶんの「人に対する見方」ということを考えてみました。

 

 

すると、ぼくはわりと「性善説」を採用しているんですね。

 

 

「根っから悪いやつなんていない」

 

って。

 

 

もちろん現実的には、そんなキレイゴトが通用しないこともあるんだけど、個人的にはその世界に生きたいんだよね。

 

 

で、そのために大切にしていることがあって、それが

 

「仕方なさを認める」

 

ってことなの。

 

 

たとえばさ、じぶんに自信がなくて、言いたいこと言えない人がいるとするでしょ?

 

 

で、それはカンタンに言ってしまえば勇気がないからだし、ハラが据わってないからなんだよね。

 

 

そう、その答えは分かってるの。

 

 

でもさ、そうやって責めるのはカンタンなんだよ。

 

けど、責めたってその人は変わらないよね。

 

そこに愛がなかったら、責めて/責められて終わりになっちゃうんだよ。

 

 

残るのは禍根だけ。

 

それって不毛じゃん?

 

 

じゃぁ、どうしたら調和するかって、それが

 

「仕方なさを認める」

 

ってことなの。

 

 

たとえば自信がない人って、基本的には「親」につぶされているから。

 

もうおれが信じられないほどに無茶苦茶に言われてる人っているんだよ。

 

殴られる。無視される。暴言で罵倒される。比較される。バカにされる。

 

 

からだもこころも柔らかな時期に、そんな攻撃うけたら、ひとたまりもないよ。

 

 

自信なんて保てるはずないよ。

 

 

だって、おれらはお母さんもお父さんも大好きなんだから。

 

 

子供はこの「大好き」の呪縛から逃れられないの。

 

どれだけやられても、親から愛されたいと思うの、本能的に。

 

 

「愛される」ためなら、「じぶんの自信」なんて粉々に砕けたっていいんだよ。

 

「自信」をつけて捨てられるくらいなら、「自信がないフリ」をしてカタチだけでも愛されたいんだよ。

 

 

そうやって、「自信」がなくなっちゃんだよね。

 

それは「仕方ない」ことなんだよ。

 

そういう角度から認めたら、「自信ない人を責める」なんてできないよ。

 

 

 

誰しもさ、表面に出ているじぶんとは反対のじぶんがいたりするの。

 

そこにアクセスしてあげる。

 

そうすると調和が起こるんだ。

 

 

たとえばさ、レジで対応の悪いお姉ちゃんがいたとするじゃん?

 

それを

 

「お金もらって働いてるんだから、ちゃんとしろ」

 

って責めるのはカンタンなことなの。

 

だって、それは「正しい」んだから。

 

 

ただね、そこから一歩進んで、

 

「なんで、こんなに不機嫌な対応になっちゃうのかな」

 

って想像してみるんだよ。

 

 

そしたら、もしかしたら

 

「すげー嫌な同僚にイジワルされてるのかもしれない」とか

 

「今日、彼氏と別れたばかりなのかもしれない」とか

 

「大学のレポートを徹夜でやっていたのかもしれない」とか

 

いろいろイメージが湧いてくる。

 

 

もちろんね、だからと言って不機嫌に仕事していいわけじゃないと思うよ。

 

でもそういう想像を働かせることで、こちらの気持ちが和らぐでしょう?

 

それがおれらのからだにとって「得」だって話なんだよ。

 

 

誰しもさ、

 

「がんばりたいけど頑張れないとき」

 

ってあるじゃん?

 

 

「怒りたいわけじゃないのに、怒っちゃう」とか

 

「好きなのに、つい冷たい態度とっちゃう」とか

 

「仲良くしたいのに、表情が固まってしまって怖がられる」とか

 

 

じぶんではどうしようもないこと、ってたくさんあるんだよ。

 

 

おれだって、そういうのたくさんあるよ。

 

 

だからこそさ、うまく開けない、うまく笑えない人の気持ちってよく分かるんだ。

 

 

みんな、そんな器用に心のままに生きられないよ。

 

よくあるんだよ。

 

ケンカしちゃって引っ込みつかなくなって表面上はブスっとしてるけど、心の中では

 

「ごめんね、ごめんね」

 

って謝っていたりすること。

 

 

大好きだからこそイライラしちゃって

 

「大キライ!もう合わない!」

 

なんて口走っちゃうこと。

 

 

そういう、なんていうのかな、「奥」にアクセスするということ。

 

そしたら、あんまり「悪い人」っていないんだよね。

 

 

顔が怖い人は、怖がってるだけ。

 

不機嫌な人は、落ち込んで自分を責めてるだけ。

 

無愛想な人は、恥ずかしいだけ。

 

むちゃくちゃ言う人は、甘えたいだけ。

 

いつも怒ってる人は、さみしいだけ。

 

 

そうやって表現がうまくできないのも人間だよね、仕方ないね、それも美しいね。

 

そういう「認め方」をしていく。

 

 

それって、「じぶん」に対してそういう「やさしい見方」をしてないとできないこと。

 

 

だから、じぶんを「やさしい目」で見てあげて、その目でついでに他人にもやさしく奥までアクセスしていく。

 

 

たぶん、おれはそういう世界が見たいんだと思う。

 

そしてそれこそが「ハラ生き社会」なんだと。

 

 

そんな世界に共感してくれる人が増えたら、嬉しいなぁ(^O^)

 

 

あっ、じぶんにもっと自信を持ちたい方、この動画見てみて!!